そこでドイツ占領軍のPGSというチームが対戦を申し込んだ。FCスタートは6-0で勝った。PGSの選手たちはFCスタートの選手たちのプレーをほめ、試合後には仲良く記念撮影さえした。しかしドイツ占領軍の上層部は喜ばず、再試合を求めた。そしてFCスタートの選手たちに負けるよう強要した。

■プロパガンダに利用されたサッカー

 しかしFCスタートはこの試合も勝利をつかむ。審判は一方的で、勝つことを要求されたドイツの選手たちのラフプレーはすべて見逃されたが、FCスタートの選手たちは、勝つことで自分たちにどんな運命が待っているかを覚悟しつつも力の限りに戦い、5-3で勝利をつかんだのだ。

 試合後、FCスタートの選手たちはゲシュタポに連行され、収容所に入れられて多くの選手が処刑された…。長くそう信じられていた。そしてウクライナの人びとの間でも「死の試合」として言い伝えられてきた。

 しかし今世紀になって、選手たちの多くが処刑されたというのは旧ソ連が創作した「プロパガンダ」だったという研究成果が発表され、話題になった。間違いなく、2つの試合は実施された。しかし2試合目の後に選手たちが逮捕され、処刑されたというのは、事実ではなかったらしい。ソ連当局が、ナチスの死の脅しに屈せず、堂々と戦って勝利をつかんだ英雄という「虚像」を作りだしたのだという。

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