青島で捕虜になり、似島に送られたドイツ兵捕虜たちは朝夕の点呼以外は収容所内で自由を与えられ、さまざまな文化活動やスポーツ活動を行った。サッカーチームもつくられた。そして戦争が終結して間もなく、ドイツ兵が帰国する前に、広島高等師範のグラウンドで広島の学生選抜チームがドイツ兵チームと試合を行った。結果は、0-5、0-6で、捕虜チームの完勝だった。

 「強烈な衝撃を受けた広島の学生たちは、毎週のように小船に乗って似島に渡り、ドイツ兵たちに指導を請い、最新のテクニック、戦術を習得。彼らの素直な姿勢と努力の結果、ただやみくもにラッシュを繰り返すだけの広島式サッカーは最新のドイツ式サッカーへと変貌を遂げたのであった」と、サンフレッチェ広島の公式サイト内の記事「広島サッカーの歴史」は伝えている。

■キエフでの「死の試合」

 第二次世界大戦中のサッカーにまつわるエピソードとしては、ナチス・ドイツに占領された旧ソ連(現在ウクライナ)のキエフで行われた地元チームとドイツ軍チームの「死の試合」の話がある。強豪クラブとして知られていたディナモ・キエフの選手たちはパン工場の仕事に従事していたが、1942年にそこで「FCスタート」というチームをつくり、連戦連勝の強さを見せた。

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