■脈々と受け継がれる「魂」

 やがて彼は『エル・グラフィコ』の代表的なカメラマンとなる。そして歴史に残る写真を撮る。1937年のある日、彼は自動車レースの取材に行った。このときも、彼は取材のルールなどおかまいなしで、いちばん迫力ある写真が撮れる場所を探し、コース内にはいりこんだ。そして彼の目の前で事故が起こった。ダニエル・ムッソが運転する車がバランスを崩し、45度傾いて右側の2輪だけでかろうじて走った。もうもうと上がる土煙、そのなかでドライバーと助手はパニックに陥らず、上半身を傾けてなんとか危機を乗り切ろうと人事を尽くしている。ウサブロー命の危険を冒して撮った一枚は、スポーツ写真史に永遠に残るものだった。

 ウサブローには2人の娘はいたが、息子はいなかった。スポーツカメラマンとしての彼の情熱とインスピレーションを受け継いだのは、このころに『エル・グラフィコ』のスタッフとなったドン・リカルドだった。世界のスポーツ史に刻まれるドン・リカルドとリカルド父子のスポーツカメラマンの源流がひとりの日本人にあることに、私は大きな感慨を覚える。

 ウサブローは祖国に帰らないまま、ブエノスアイレスで1980年に77歳で亡くなり、ドン・リカルドも1994年に82歳で帰らぬ人となった。しかしそのスポーツカメラマンとしての魂は、リカルドを、そしてマウロを通じて、いまも脈々と受け継がれている。

PHOTO GALLERY ■【画像】リカルドの世界的スクープとなった写真が用いられたサッカー・マガジンの表紙
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