■農家からカメラマンへの転身
彼は故郷で農業を学び、肥沃な大地といわれるアルゼンチンで農業をしたいという志をもった。父は彼に数百円(現在の貨幣価値では500万円以上)を与え、「地球の裏側」へと送り出した。最初はアルゼンチン北部のチャコ州に入植し、綿花の栽培を試みたが、干ばつと虫害ですべてを失い、ブエノスアイレスに出た。すさんだ生活のなかで、彼は故郷の父がカメラを趣味としていたことを思い出した。スペイン語はほとんどできなかったが『エル・グラフィコ』の写真部に押し掛け、暗室助手として働き始めた。1920年代の終わりのことである。
やがてカメラをもたされ、サッカーの試合の取材に送り出される。そのときまで、ウサブローはサッカーがどんなものか、まったく知らなかった。見よう見まねでゴールラインの後ろに陣取った彼だったが、試合が始まるとピッチにはいり、選手といっしょに走りながら写真を撮り始めた。すぐにレフェリーが試合を止め、ウサブローに出ていくように命じた。