■「じゃあな、坊や」

 ある日、私たちが帰ろうとしたとき、初めて彼が私に向かって口をきいた。

「じゃあな、坊や」

 私は25歳だった。70歳に手が届こうかと思しき老人に「若造」扱いされるのは仕方がない。しかし「坊や」とは何か。私は少しむっときて「僕は何歳に見えるのですか」と聞いた。彼は「16歳」と答えた。「子どもと思われたら、仕事に差し支える。来年のワールドカップには、ヒゲを生やしてこよう」と思ったのはそのときだったということは、以前書いた。

 翌年のワールドカップで、私が彼の姿を初めて見かけたのは、決勝戦が行われたブエノスアイレスのリバープレート・スタジアム、その記者室だった。相変わらず真っ白なスカーフを首に巻いた彼は、白いパンツを黒く長いブーツの中に入れ、このときもダンディーな姿だった。しかし彼の首にぶら下がっていたのは、当時日本のカメラマンが使っていた真っ黒でずっしりと重い、モータードライブ(シャッターを押すと機械で自動的に巻き上げ、次のカットを撮るための準備が完了する)付きのカメラではなく、まるで骨董品のような小さなカメラに、細いレンズがついたものだった。

 そして何より私を驚かせたのは、彼がピッチにはいることを許されたカメラマンであることを示す「ビブス」を着ていたことだった。

(4)へ続く
PHOTO GALLERY ■【画像】リカルドの世界的スクープとなった写真が用いられたサッカー・マガジンの表紙
  1. 1
  2. 2
  3. 3