■白いスカーフを巻いた謎の老紳士
1977年、富越正秀カメラマンと初めて南米サッカーの取材をしたとき、私は彼に何回も会った。翌年のワールドカップ・アルゼンチン大会の事前取材で、工事中のスタジアムも重要なテーマだった。だが完成後ならともかく。工事中のスタジアムの取材は非常に難しい。私と富越カメラマンは、ワールドカップ組織委員会の報道担当事務局を訪れ、ブエノスアイレス市内の2スタジアムの取材許可を頼みに行った。
しかし申請書を提出しても、許可証が出るのは翌日。翌日、他都市のスタジアムの取材許可をお願いしても、その許可は数日後と、なかなか交渉ははかどらない。結局、数日間通わざるをえなくなった。おまけに、広報担当事務局には英語を話せる人がおらず、会話は私が出発前に「一夜漬け」のように覚えたおそらく100語程度のスペイン語でするしかない。富越カメラマンは取材先で覚えたイタリア語も連発し、連日私たちは事務所で大騒ぎを引き起こした。
その大騒ぎを、マテ茶を片手にクールに見つめている老人が2人いた。彼らは何かの仕事をするでもなく、事務所の入口近くにゆったりとした椅子を置いて、いつもマテ茶を飲みながらおしゃべりをしていた。そのひとりは、背が高く、白い上着を着て、首には真っ白なスカーフを巻いた非常にダンディーな紳士だった。おまけに髪の毛まで真っ白だった。それがアルゼンチンの伝説的カメラマンである「ドン・リカルド」とも知らず、私は引退したジャーナリストが暇つぶしにきているのだろうとぐらいしか思わなかった。