後藤健生の「蹴球放浪記」第94回兼特別編「“塁”球放浪記」「文革直後の中国でパンダにでもなったような気分」の巻(1)女子中国代表チームとのアウェイゲーム参戦の画像
マラドーナが日本にやって来た1979年、中国はまだ「遠い国」だった 提供/後藤健生
■【画像】見張り役も兼ねていた? 1979年の中国の女性ガイド

 蹴球放浪家・後藤健生は、別の顔も持つ。「塁球」放浪家として、中国代表と対戦した経験もあるのだ。日本代表の2022年最初の公式戦、中国とのワールドカップ予選を前に、かの国での勝負に思いをはせる。

■国交回復10年足らずの中国にて

 森保一監督率いる日本代表チームは、1月27日に中国と対戦します。中国は李鉄監督が更迭されるなどチーム状態は良くなさそうです。日本代表にとって、ホームの中国戦は絶対に勝点3を取らなければならない試合と言えるでしょう。

 さて、僕が初めて中国を旅したのは40年以上も昔、1979年の秋のことでした。ちょうど、日本でFIFA主催の第2回ワールドユース・トーナメント(現、U-20ワールドカップ)が開催され、当時18歳のディエゴ・マラドーナのプレーに日本中が驚いた頃ですね。

 1972年に日中両国は国交を回復しましたが、まだまだ日本人にとって中国は遠い国でした。なにしろ、1976年9月というと毛沢東中国共産党主席が亡くなってちょうど3年目という時代だったのです。

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