■サッカー好きだった鄧小平

 1950年代末の大躍進政策の失敗によって実権を失っていた毛沢東は劉少奇国家主席などから権力を取り戻すため、1966年に「文化大革命」(文革)を発動しました。毛沢東に煽動された若者たちは「紅衛兵」と称して国家や政府、学校、宗教などあらゆる権威を否定し、劉主席をはじめ多くの人たちが権力の座から引きずり降ろされ、多くの貴重な文化財が破壊されました。文化人は農村に追放され、そして、1000万人以上の人たちが虐殺されたと言われています。副首相だった習仲勲も失脚し、息子の習近平もひどい迫害に遭ったそうです。

 1970年代に入ると周恩来首相などが事態の安定化を図り、毛主席が亡くなった後、毛主席の妻の江青女史などいわゆる「四人組」が逮捕されて文革は否定され、鄧小平が事実上のナンバーワンとなって中国は改革開放路線に転じました。その後、中国は急速な経済発展を遂げ、GDPでも日本を抜いて世界第2位の経済大国となりましたが、1979年の中国はまだまだ文革の傷跡も残る貧しい発展途上国でした。

 サッカー好きで有名だった鄧小平は「白いFWでも、黒いFWでも点を取るのが……」いや違います。「白い猫でも黒い猫でもネズミを捕るのが良い猫だ」という名言を残しました。つまり、社会主義的な計画経済にはとらわれないで、経済発展を進めようとしたのです。

 僕が1979年に中国に行ったのは、大学時代の指導教授のゼミが卒業旅行として中国旅行に行くというので「先輩」として同行したのです。そんな名目でもないと、なかなか中国には入れない時代でした。

PHOTO GALLERY ■【画像】見張り役も兼ねていた? 1979年の中国の女性ガイド
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