■一気に多彩になったフォーメーション

 サッカーが始まって140年近くになろうとしているが、初期の混乱期が終わって1870年代には競技として安定したサッカーが、最も大きな変革を迫られたのが、この1925年のオフサイドルール改正だった。それまでの「3人制」のプレー習慣を変えることができず、得点が急激に増加したのだ。

 1924-25シーズンのイングランドリーグ1部(22クラブ、総計462試合)の総得点数は1192(1試合平均2.58)。それに対し、新ルール施行の1925-26シーズンでは、総得点数1703、1試合平均3.87、なんと43%もの増加をみたのである。この2シーズンはハダーズフィールドが連覇を飾っているのだが、このクラブの得失点は、前季の69得点28失点から、92得点60失点へと増えた。

 この「混乱期」にいち早く対応したのがアーセナルのハーバート・チャップマン監督である。ハーフバックのひとり(センターハーフ)を2人のDFの間に下げ、前線も両インサイドFWを中盤に下げる形の「WMシステム(現代的に言えば、中盤を『ボックス型』にした3-4-3システム)」を考案、1930年代にかけて黄金時代を築くことになる。そしてさらに、1958年のブラジルの「4-2-4システム」、1980年代の3バックシステムなど、多彩なフォーメーションが花開く時代となる。1925年のオフサイドルール改正は、戦術的な発展の原動力となった。間違いなく、サッカーにおける「革命」だったのだ。

(3)へ続く
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