■東京五輪を受け、子どもたち、学生たち、Jリーグでもパススピードが上がれば――
それにしても、濃密な2週間強でした。W杯や五輪に出場するたびに、日本は色々なものを確実に積み上げてここまできました。そして迎えた今回の東京五輪は、いままで以上に濃密で刺激的、なおかつしびれる試合を経験し、たくさんの収穫を得ることができ、課題も見つかったと思います。
そういう試合を多くのサッカー関係者だけでなく、多くの国民のみなさんが見ることができたこと、しかも時差なくリアルタイムで見ることができたことは、自国で開催された価値だと思います。子どもからJリーガーまでが、深夜や早朝の試合を眠い目をこすって見るのではなく、頭がさえている時間に観戦できたのは大きいでしょう。
我が家でも毎試合後に議論になりました。各家庭、各チームで同じように議論が起こっていると考えたら、これはものすごいことです。
今回の五輪を受けて、子どもたち、学生たち、Jリーグの試合のパススピードが、数キロでも上がってくれれば──そして、それをしっかりと止められる技術が身につけば。それだけで世界が変わります。
その速度が当たり前の日常になれば、日本サッカーはそれだけでもはっきりと変化していくと思います。試合を見てもわかったと思いますが、スペインやメキシコの選手たちのパススピードは日本のそれよりも速かった。彼らはその速いパスをピタッと止められる技術があるからこそ、自分の時間を確保できる。確保できるから、相手の出方を見ることができる。出方を見られるから、相手の急所を突くプレーや相手の嫌がるプレーを選択できるのです。
その余裕が、あるのかないか。すべてはそこからではないでしょうか。それがあって初めて、色々なことができてくる──日本との対戦を通して見た彼らのプレーに、そう思ってしまうのです。
そんな濃密な日々を経験できたのも、ひとえに今回の日本がここまで勝ち上がってくれたからこそだと思います。コロナ禍で準備のところから大変だったと思いますし、大会が開催されてからも気の抜けない日々だったことでしょう。結果こそ残念なものでしたが、ここまでの積み上があったからこそ、ここまで来ることができましたし、積み上げたことでさらに上には上があるということを可視化、体感できたことは、今後の日本サッカーにとって大きな意味があったと思います。
ここまでの戦いに敬意を払うとともに、これからの彼らに期待したいですし、日本サッカーをみんなで発展させていきたいと改めて思いました。
(構成/戸塚啓)
なかむら・けんご 1980年10月31日東京都生まれ。中央大学を卒業後03年に川崎フロンターレに入団。以来18年間川崎一筋でプレーし「川崎のバンディエラ」の尊称で親しまれ、20年シーズンをもって現役を引退した。17年のリーグ初優勝に始まり、18年、20年に3度のリーグ優勝、さらに19年のJリーグYBCルヴァンカップ、20年の天皇杯優勝とチームとともに、その歴史に名を刻んだ。また8度のベストイレブン、JリーグMVP(16年)にも輝いた。現在は、育成年代への指導や解説活動等を通じて、サッカー界の発展に精力を注いでいる。