■北の雄シェフィールドからロンドンへの挑戦

 このころ、シェフィールドのクラブはまだFAに加盟していなかった。FAにとっては、いわば外部勢力からの「挑戦」だったが、5つの条件を出してこの挑戦を受けた。

 1 1チームは11人とする。

 2 試合会場はバタシー・パーク、ピッチは縦120ヤード(約110メートル)、幅80ヤード(75メートル)とする。

 3 試合は90分間で、午後3時にキックオフし、4時30分に終了する(ハーフタイムの休みはなし)。

 4 ボールは「リリーホワイト5号」とする。

 5 ロンドンのチームは白のシャツ、ショーツとも白とする。

 チェスターマンはこの返信を喜び、試合はFAの最新のルール(2月に改訂されたばかりだった)で行うことを了承した。このルールでは、選手たちはボールをキャッチすることができるが、それを投げたり持ち運んではいけないとされていた。スローインは最初にタッチ外からボールを拾ったチームが行い、片手で、タッチと直角の方向に入れなければならなかった(今日のラグビーと同じである)。またCKはなく、ゴールラインをボールが割ったらすべてゴールキックとなった。FKもPKもなく、ファウルに対する罰はなかった。両チームは、1点はいるごとにエンドを入れ替えた。オフサイドは、「3人制」だった。

 当時の「シェフィールド・ルール」ではオフサイドの規定が確立しておらず、ゴールの大きさが違い(シェフィールドのゴールの幅は4ヤード=3.66メートル=で、FAのゴールの半分の大きさしかなかった)、さらには、「ハンド」の反則に関する理解も違っていた。シェフィールドでは禁じられていた「ボールを叩く」、すなわち手で前方にはじく行為は、FAルールでは許容されていたのだ。それらの違いに慣れるために、1週間前の3月24日にFAのルールを使っての練習試合を行った。入念な準備をして試合に臨んだのである。

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