■かつて試合時間に規定はなかった

 近代スポーツとしての「サッカー(アソシエーション・フットボール)」の誕生は、1863年12月5日土曜日のことである。ロンドン都心の「フリーメーソンズ・タバーン」と呼ばれる居酒屋でこの年の10月26日からほぼ週いちど開催された会議の第5回目で、「統一ルール」が承認された。「統一」とあるとおり、それまでさまざまなルールで行われていた「フットボール」という競技を、ひとつのルールの下でまとめ、その統括団体として「フットボール・アソシエーション(FA=現在のイングランド・サッカー協会)」を設立したのだ。

 だがそのルールには、試合時間の規定はなかった。FAに加盟したロンドンのクラブや学校チームは、試合をするたびに、まず1チームの人数とともに試合時間を決めなければならなかったのだ。

 このころ、ロンドンと並び、いや、ロンドン以上にフットボールが盛んだった都市がある。中部イングランドの工業都市、「鉄鋼の町」と呼ばれたシェフィールドである。ちなみに、地図を見れば明らかなように地理的には「中部イングランド」と呼んでいい地域なのだが、サッカーの面では、ロンドンを「南部」と称するのに対し、シェフィールドやマンチェスターは「北部」と呼ばれる。

 この「北の雄」シェフィールドで、1857年に「世界最古のクラブ」であるシェフィールド・シティFCが設立され、翌年、シェフィールド地区の統一ルールがつくられる。シェフィールドでは、1850年代には、1チーム20人、2時間という形が多かったらしいが、試合時間の幅は大きく、状況によって1時間から3時間まで、さまざまだった。シェフィールドでのサッカーの普及は急速で、1860年代にはクラブ数が15にものぼり、ロンドン地区を上回る勢力になっていた。

 史上初めて「90分」と定められた試合の記録は、1866年のことである。3月31日土曜日、ロンドンの南、テムズ川の南岸に広がるバタシー・パークで行われた試合である。シェフィールドFCが遠征し、ロンドンの数クラブからの選抜チームと対戦した。シェフィールドFCの事務局長ウィリアム・チェスターマンが前月にFAに手紙を送り、実現した試合だった。

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