■失点のすべての責任を負わされても音を上げなかった冨安

オリヴェイレンセ社長・山形伸之氏(提供写真)

――社長になってからは初めの頃は何をされたのですか?

「2019年の12月に社長になりましたが、2019―20シーズンの途中だったので、いきなり多くのことができるわけでもありませんでした。そのシーズンの冬の移籍市場でブラジル人と2人と、日本からは小野原和哉(レノファ山口FCから加入)と小枇ランディ・エメカ(JFLいわきFCから加入)という2選手を獲得しました。日本から獲得した2人は最初の半年間は試合に絡めなかったのですが、“焦ることはないから”と声をかけ、冨安健洋選手の話もしましたね」

――冨安選手は2018年1月の冬の移籍期間でシント=トロイデンに加入しましたが、2017-18シーズンの出場はわずか1試合。ただ、続く2018―19シーズンに大活躍して、イタリアセリエAのボローニャへ移籍しました。あのケースがお手本になると?

「冨安選手もはじめの半年はほとんど公式戦に出られませんでした。練習試合ではプレーさせてもらっていたのですが、当時はまだ言葉もできず、失点をするとほとんどすべて彼のせいにされていました。

 ただ、彼は真面目だからそこでも我慢して、チームトレーニング、語学の勉強、食事、自主トレに明け暮れる毎日を送ったんです。それで翌シーズンのプレシーズンキャンプで監督に認められてレギュラーを取り、2018―19シーズンのサポーターが選ぶMVPになっていました。これから欧州に挑戦する選手は彼から学べることがたくさんあると思うので」

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