3月25日に行われる日本対韓国の親善試合。日本にとって特別な思い入れのある韓国との一戦は、多くの注目と期待を集めている。サッカージャーナリストの大住良之氏と後藤健生氏の2人が、実に54年間にわたる日韓戦観戦の蓄積から、多彩な角度の議論を戦わせる!
■「71年のユース準決勝が、国内初のPK戦だったんだよ」
大住「あと韓国とは代表レベルだけではなくて、ユースでも戦っている。その中ではなんと言っても、東京でやった71年のユースだよね。日本は奥寺康彦がいて、あとウィンガーの高田一美、そして碓井博行。キーパーは瀬田龍彦。あの頃の日本は、新しい世代の選手が出てきてすごく良かったんだけど、準決勝で韓国とやって……」
後藤「日本国内での初めてのPK戦だったよね」
―そうなんですか?
後藤「そうだよ。PK戦というルール自体があの頃にFIFAで採用されたものだから。そこでキム・ジンクック(金鎮国) がいて、インチキPKをやった」
―ちなみにそれはどんなプレーだったんですか?
後藤「キックする前に止まるんだよ」
大住「その金鎮国がなんて言うかな、昔の鹿島アントラーズにいた本田泰人みたいなタイプかな」
―ストライカーというタイプではない?
大住「ストライカーじゃないよ。 ガチガチ、ガチガチだよね」
後藤「ずんぐりむっくりでね。けど、あの人が一時は大韓協会の技術委員長やってたよね」
大住「それに日本と韓国がいちどはワールドユースというか、アンダー20で準決勝で戦ったことがあったよね。2003年だったかな。UAEで韓国と戦って、延長で勝ってるんだよ。大熊清さんが監督で、センターフォワードが平山相太でさ。鈴木規郎もいてさ。あと阿部祐太朗と、ゴールキーパーは川島永嗣だ。この時は川島が良かったよね。世界大会で日本と韓国が当たるのは、両方とも上まで進んだときだけで、男子ではあと、ロンドン・オリンピックの3位決定戦があるだけじゃないかな」」
後藤「あと思い出すのは、中村俊輔がユースのエースだった時に、韓国でアジアユースがあって、この時も日本が負けたし、日本が準優勝した1999年のワールドユースに行く前のアジアユース(タイ)でもグループリーグと決勝で、韓国に2回とも負けた。それから、なんといってもアンダー23のリオ・オリンピック予選の決勝戦だよね」
大住「あれはバカみたいな試合だったね」
後藤「ははは」
大住「あの時の韓国は本当に強かったよ」
後藤「ありゃりゃって、あっという間に2点を取られてさ」
大住「めちゃくちゃに強くて、すぐに2対0になって。それで明らかに韓国は日本をバカにして手を抜いてさ。日本は後半から浅野拓磨を入れて」
後藤「浅野は本当に、2度と見れないってくらい良かったよね。スペースに完璧に走り込んで、シュートも落ち着いていたし」
大住「あのワンタッチのシュートはすごかったよね」
後藤「日本が3対2で、逆転勝ちしたんだよ」
大住「あの年代だから、日本のことを舐めてくれたんだよね。あれが上の年代だったら、絶対にこのまま終わらせてやるっていう感じの試合をしていたと思う」
(※2016年1月30日、ドーハで行われたリオ五輪最終予選兼U-23アジア選手権。手倉森誠監督率いる日本五輪代表は、2点をリードされながらも浅野の2ゴールを含む3点を取って逆転勝利を収めた)