■白いシューズにはパスが集まる

 大昔、サッカーシューズといえば焦げ茶色だった。後に黒となった。基本的に、「アッパー」の素材には牛の皮革を使っていたからだ。皮革の自然なままの色は焦げ茶色で、染めるとしても、最も簡単だったのは、黒だったからだ。黒をベースに、メーカーがそれぞれのラインを白く入れるというのが、1960年代までのサッカーシューズの常識だった。

 最初に「黒でないシューズ」をはいたことで知られるのが、イングランド代表として1966年ワールドカップ優勝の原動力となったアラン・ボールである。1970年8月9日、FAチャリティーシールド(シーズン開幕を告げるスーパーカップ)に真っ白なシューズをはいて登場、人目を引いた。この試合は相手チームであるチェルシーのホーム、スタンフォード・ブリッジ・スタジアムで行われたため、ボールが所属するエバートンは黄色-青-黄色というユニホームを着ていたが、背番号8をつけて中盤の中央でプレーするボールに次々とパスが集まり、エバートンは2-1で勝利をつかんだ。

 この年、アラン・ボールが2000ポンド(当時のレートで約173万円)でシューズの契約をしたのがヒュンメルというメーカー。ヒュンメルというとデンマークのイメージが濃いが、本来はドイツのハンブルクを発祥の地とするスポーツメーカーであり、デンマーク人に買収されるのは1974年のこと。この当時はドイツに本社があった。チャリティーシールドでのアラン・ボールの活躍で「ヒュンメルの白いシューズ」は一挙に人気になり、なんと英国内で1万2000足を売ったという。しかし当時には絶対に語ることのできなかった裏話もある。

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