■勇気ある先駆者を襲ったハードマーク
当時ヒュンメル社のマーケティング・ダイレクターをしていたブライアン・ヒュウィットは、後にこんな話をしているのである。
「当時のイングランドでは、アディダスとプーマが圧倒的なシェアを誇っていた。後発のヒュンメルが何とか目立たないかと考えたのが、シューズを白く塗ることだった。しかしアラン・ボールと契約してシューズを届けると、彼は『このシューズではプレーはできない』と言う。そこで急きょアディダスのシューズを買ってきて白く塗ったんだ。彼の手元に渡ったのは、試合開始の10分前のことだった」
だが、実は、とんだ先駆者がいた。後にアーセナルを率いて革命的な戦術を考案し、「監督」という領域を超えて様々なアイデアでクラブを強豪中の強豪に押し上げたハーバート・チャップマンである。1905年から1907年までトットナム・ホットスパーでストライカーとしてプレーしていた時代に、彼はある画期的なアイデアをひらめかせた。シューズを真っ黄色に塗ったのだ。それによって、味方が容易に彼を見つけられ、チャンスが数多く生まれるのではないかというアイデアだった。
ただ、実際には、この「画期的アイデア」には、味方が見つけやすいという効果とともに、「負の側面」があった。真っ黄色なシューズは、彼をマークする相手ディフェンダーにも認識されやすく、チャップマンはより厳しいマークを受けることになってしまったのである。
「カラーシューズ」が一般化した2010年代、「ストライカーは目立つシューズをはくべきではない」という論文が英国のある大学から発表されて話題になったことがある。派手な色のシューズをはいたストライカーたちはハードタックルを受けやすいというのである。この説を信じてシューズを黒に戻したのが、イングランド代表とマンチェスター・ユナイテッドでエースとして活躍したウェイン・ルーニーである。