■反町康治選手の白いストッキング

 それはともかく、山添さんは「かっこいいものにしよう」と、このイヤーブックでは選手個々の顔写真は載せず、ドイツの『Kicker』誌がつくっていたブンデスリーガのイヤーブックのように、チーム写真を1ページ大に横向きに使う方法がとられた。その写真をどう撮影するか、「マニュアル」が必要だった。

 背景ができるだけきれいなところを選ぶこと。椅子を2列に並べ、選手は、椅子に座る者、その背後に立つ者、そして椅子の上に立つ者の「3列」にすること。各列はずらし、選手の顔だけでなくユニホームの胸のチーム名(当時は広告ではなくチーム名だった)や胸番号が見えるようにすること。前列中央には監督が座り、コーチは中列の左右、そして後列の中央にGKたちを配すること――。

 現在のJリーグチームなら当然のことだが、当時は、細かな「マニュアル」がなければ、各チームがどんな写真を送ってくるのか、考えるだけでも空恐ろしかった。そのマニュアルの1990年版をつくるにあたって、私は木之本さんに「すね当て」をどうするか尋ねたのである。というのも、この年のルール改正によってすね当ての着用が義務付けられたからである。シャツ、パンツ、ストッキング、シューズとともに着用が義務なら、チーム写真撮影時にも着用させるべきではないか――。そう考えるのは当然のことだった。

「いらない」

 木之本さんの返事はシンプルだった。「マニュアル」に新条項は入れられず、完成した1990/91シーズンのJSLイヤーブックの全日空サッカークラブ(後の横浜フリューゲルス)のページを開くと、チーム写真の前列左から2人目に、当時26歳の反町康治選手が白いストッキングの下には何もつけず、にこやかな顔で映っている。ちなみに、現在も、チーム写真撮影のときにはすね当てをつけないのが普通であるようだ。

PHOTO GALLERY 選手が変われば足元も変わる
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