V・ファーレン長崎・手倉森誠監督「解任」の真相(1)フロントと温度差…会見で「2度繰り返した言葉」の画像
手倉森誠監督(V・ファーレン長崎)   写真/中地拓也

■「退任」ではなく「解任」

 12月16日のJ2リーグ第41節でJ1昇格を逃したV・ファーレン長崎は、2日後の18日午前に手倉森誠監督の退任をホームページ上で発表した。同日午後には監督自身が定例のオンライン会見に対応し、現在の心境を明かした。

 冒頭で「昨日クラブから伝えられて。退任と出ていますけれど、解任ですね」と自ら訂正した。

「ただ、自分がこのチームを率いたなかで、最低2年でJ1昇格を決めて、3年目にはJ1の舞台で長崎を戦わせたいという描きのなかで、それを果たせなかったのでものすごく責任を感じていました。クラブが舵を切ったことに対しては、自分の思いも汲んでもらったのかなとも思う」

 と、J1昇格を逃したことで辞意を固めていたことも明らかにした。

 就任2年目の今シーズン、V・ファーレン長崎は開幕から9戦負けなしの好スタートを切った。8月29日の15節までは、11勝2分2敗で首位を快走していた。ところが、9月に入ると急激に失速する。

 9月2日の16節でアルビレックス新潟に90プラス5分に追いつかれ、土壇場で勝利を逃した。3日後のツエーゲン金沢戦も、自滅的な形で同点に持ち込まれてしまう。この2試合で勝点4を取り損ねた。続くヴァンフォーレ甲府戦は0対2で敗れ、首位から滑り落ちた。

 その後も白星は遠い。19節はホームでジュビロ磐田と引分け、20節も下位の松本山雅FCと2対2のドローゲームを演じる。64分の時点で2対0とリードしながら、76分、78分に立て続けに失点したことによる痛恨のドローゲームだった。

 上位との直接対決でも、勝点を献上してしまった。22節でアビスパ福岡に、23節で徳島ヴォルティスに屈する。9月は5分3敗と未勝利に終わってしまった。

 8試合のうち5試合はアウェイだった。コロナ禍による連戦のなかで、過酷なスケジュールを強いられたのは間違いない。手倉森監督は選手の負担をできるだけ軽減するために、16節の金沢戦から18節の甲府戦までは地元へ帰らずに転戦した。勝利を引き寄せるためのマネジメントに心を砕いたが、この時期の停滞がJ1昇格を逃す直接的な原因となってしまった。

「苛酷なアウェイが先行する夏場(9月)に、あと2つ3つ、取りこぼさないで勝っていれば」と、指揮官も語っている。

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