■リーズユナイテッドを心から愛す
さて、撮影者のジョン・バーリーの話である。彼は1934年にイングランド中北部、サウスヨークシャー州のドンカスターに生まれた。子どものころ、隣人が犬といっしょに写真をとってくれ、翌日、ジョンにプレゼントしてくれた。この写真を見て、自分も写真家になろうと決意したという。
15歳で地元紙の写真部の暗室で働き始め、やがてカメラを持たされて撮影に飛び回るようになる。1958年に南ヨークシャー一帯が洪水に襲われたとき、彼は1枚の写真を撮って全国に知られるようになる。胸の下まで水につかりながら救出した赤ん坊を抱いて安全な場所まで運ぼうとする警官の写真。それが全国に配信されて新聞の一面を飾ったことでチャンスをつかむ。
タブロイド判の全国紙『ミラー』からオファーを受け、彼はリーズに移ってその地方の写真を担当するようになる。アフリカのビアフラ戦争(ナイジェリア)、IRAのテロが続くベルファスト(北アイルランド)など「紛争取材」もしたが、彼はリーズ・ユナイテッドを心から愛し、その最も良き時代(1970年代)を撮り続けた。そして1966年以来、1982年まで、ワールドカップも逃すことがなかった。
1970年のメキシコ大会を前に、ジョン・バーリーは友人のジャーナリストとともにメキシコをゴールとする「ワールドカップラリー(自動車レース)」に参加した。ロンドンを出発、欧州大陸を経てリスボンからリオデジャネイロに渡り、ブエノスアイレスなどを回って開会式の日にメキシコシティにゴールインするという壮大なラリーだった(だから『ミラー』紙が用意した航空券は復路しか使わなかった)が、ゴールを目の前にメキシコシティ郊外で車が壊れた。それでもめげず、ヒッチハイクでメキシコシティに向かい、開幕戦の取材に間に合わせたという。
1970年6月7日のグアダラハラ、試合が終わるとすぐ、彼はボビー・ムーアを探し出し、彼の正面でカメラを構えて待った。確信があったわけではない。しかし試合を撮影しながら、ペレがムーアとユニホーム交換をするのではないかという予感をもっていたという。