■少年たちの憧れの番号に
エウゼビオとゲルト・ミュラーの活躍は、ちょうどワールドカップがテレビで世界に配信されるようになった時代のことだった。「背番号13」の呪術が解け、自ら「13」を選ぶ選手が増えていく。
ドイツ代表ではルディ・フェラー、カールハインツ・リードレといった時代時代のエースたちが「13番」をつけ、それはミヒャエル・バラック、トーマス・ミュラーへと引き継がれていく。2000年代のイタリアでは、リベロとしてエレガントなプレーを見せ、ACミランとイタリア代表のシンボルにもなったアレサンドロ・ネスタが、現役時代を通じて「13番」をつけた。「13番」は忌み嫌われる番号ではなく、スターたちがつけ、多くの少年たちが憧れる背番号のひとつになったのだ。
Jリーグでは、私のイメージに浮かぶ「背番号13」といえば、やはり鹿島アントラーズの柳沢敦と、浦和レッズで2000年から16シーズンプレーし、最初のシーズン(背番号31だった)以外はずっと13で通した「レジェンド」の鈴木啓太である。
柳沢が鹿島を離れた2008年にその「背番号13」を受け継いだのが、宮崎県の鵬翔高校から鹿島にはいって4シーズン目の興梠慎三だった。「13」は鹿島の「エースナンバー」であるとともに、興梠が高校時代につけていた番号でもあった。だが興梠が浦和に移籍した2013年、浦和には「鉄板」の13番、鈴木啓太がいた。そこで興梠は「30」を選び、以後、この番号にまったく新しい生命を吹き込んだ。