■「13」をつけた得点王たち
1966年イングランド大会では、ポルトガルの至宝、「モザンビークの黒豹」と呼ばれたエウゼビオが6試合で9得点を挙げ、得点王となった。グループリーグでは、3連覇を目指すブラジルに引導を渡すゴールを決め、「ペレの時代は終わった。これからはエウゼビオがサッカーの王様だ」とまで言わしめた。準々決勝では、北朝鮮にあっという間に3点を取られた後、エウゼビオが驚異の4連続ゴールを決め、試合をひっくり返した。
ニックネームのとおり、当時ポルトガルの植民地だったモザンビークの首都ロレンソマルケス(現マプト)出身。19歳で才能を見いだされてポルトガルの名門ベンフィカに移籍後、たちまち欧州を代表するスターとなった。ベンフィカでは「10番」をつけることが多かったが、ポルトガル代表として臨んだワールドカップでは「13」。電撃的なスピードとムチのようにしなる体から繰り出されるシュートで世界を魅了した。
1970年メキシコ大会では、西ドイツの「爆撃機」ゲルト・ミュラーが6試合で10ゴールを記録して得点王となった。1960年代を通じて、ドイツ代表のエースといえば主将も務めたウーベ・ゼーラーであり、彼は1962年チリ大会以来背番号9をつけていた。1970年のメキシコでも、背番号9は33歳のゼーラーの背中にあった。所属のバイエルン・ミュンヘンでは9番をつけてゴールを量産していたゲルト・ミュラーがドイツ代表に選ばれたのは1966年ワールドカップ後のこと。彼が選んだのは「13番」だった。
ゲルト・ミュラーの脳裏には、1954年スイス大会で西ドイツを優勝に導いたマックス・モーロックの記憶があったかもしれない。ハンガリーとの決勝戦で0-2の劣勢から追撃の1点を決め、ハンガリーのシャンドル・コチシュ(11得点)に次ぐ6得点を挙げたのが、「背番号13」をつけたモーロックだったのだ。