■記者席からのワルツの調べ

 日本でワープロが普及したのが1980年代。1990年代になるとノート型のワープロが発売され、多くの記者が富士通製の通信機能がついた「オアシス」を使うようになった。1994年のワールドカップ・アメリカ大会では新聞社はすべてデータ通信で原稿を送るようになっており、続く1998年ワールドカップ・フランス大会ではノートパソコンを使ってのデータ通信が中心となっていた。日本の記者たちも、ノートと原稿用紙を広げて試合に臨むのではなく、欧米の記者たちと同様、ノートパソコンを広げて試合に臨むようになったのである。

 日本人記者まで「ノートパソコン」化した1998年のワールドカップで、おそらくただひとり、オリベッティのレッテラ32をぶら下げてスタジアムにやってきた記者が、英国人大記者のブライアン・グランビル氏である。試合が終わると、彼はもう数十年も使い込んだと思しきレッテラ32をケースから取り出し、「サンデー・タイムズ」用などの長大な原稿を書く。そしてファクスサービスのデスクにもちこんでロンドンまで送信していた。

 現代の記者席では、誰もが机にノートパソコンを広げ、いろいろなデータを収集しながら記事を書いている。プレー・バイ・プレーのレポートを担当する者は1秒を争う作業となり、書いた先から送信されて数十秒後にはサイトに現れる。ピッチ上で何かあるたびにタイプするという点では40年以上前とほとんど変わらない作業なのだが、もうカーボンコピーはいらないから、記者たちは実に静かにタイプする。若い記者たちの、まるでピアノでワルツを演奏しているような軽やかで優雅なタイピングを見ると、私はうっとりとしてしまう。

 当然、もう記者席には、マシンガンのような音は響かない。しかしワールドカップなどで欧米の年配の記者たちの仕事ぶりを見ると、小さなノートパソコンのキーボードを、例外なく、力強く2本の人さし指で真上から叩き込むように打っている。身についたスタイルはなかなかなくならないものだと思わずニヤリとしてしまう一方、あと10年もすればこうした記者も消えていくのだろうと、どこか寂しく思うのである。

PHOTO GALLERY 全ての写真を見る
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6