■5.5キロの頼もしい相棒

 アルゼンチンをはじめ、サッカーが盛んな国では、当然、ひとつの試合に複数の記者を送り込んでくる。サッカーに割くページ数が多いだけでなく、活字そのものが小さいから、記事は詳細を極める。そのなかに必ずあるのが、試合の流れを忠実に追う記録記事だ。何分に誰からパスを受けた誰がどんなシュートを打ち、どうなったか。何分に誰が警告を受けたか、何分に誰が誰と交代したか――。そうした情報を詳細にレポートするのだ。現在のファンには、Jリーグの公式サイトでもそうした記事がどんどん流れてくるから、想像はつくだろう。

 しかし1970年代の新聞では、その都度サイトに上げていくようなことはできない。ハーフタイム、そして試合終了直後に、原稿運びの若者が走ってきて受け取り、バイクですみやかに新聞社に運ぶ仕組みになっていた。当時、そうした原稿の担当になった記者たちの多くが愛用していたのが、オリベッティの「レッテラ32」という機種だった。小さくて扱いやすく、何より、壊れにくかった。重さは5.5キロ。新聞記者たちはこの機械を手に世界を飛び回っていた。

 記事は、原稿をチェックする係だけでなく、写真を選ぶ係など複数の部署に回さなければならない。コピー機などない時代、記者たちは数枚の紙の間にカーボン紙をはさみ、それをタイプライターにセットして、いちどに3~5枚の複写をつくることを求められた。

 だから当時の新聞記者たちには、10本の指を使ってワルツを踊るようにタイピングする者などいなかった。ほとんどの記者が、両手の人さし指だけを使い、それをクギを打ち込むように真下に向かって、まるで小さなドラムを叩くように力をこめてキーを叩いた。しかもそのスピードは指10本を使ってのタイピングをしのぎ、しかもカーボンコピーのいちばん下の原稿にまで力強い文字が打ち込まれた。それを何百人もがいっせいにやると、「マシンガンの響き」になるのだった。

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