物騒なはなしだ。スタジアムの記者席からは、100年以上にわたって、激しいマシンガンの音が鳴り響いていた。それが軽やかなワルツの調べにかわったのは、日本代表がワールドカップに初出場したフランス大会あたりから。自動小銃? 電子ピアノ? どちらも新聞記者たち御用達。
■プロサッカーにもっとも必要なもの
南米では、9月にクラブチームのリベルタドーレス杯が再開され、10月にはワールドカップ予選がスタートした。だがスタジアムで取材しているのは、原則として、放映権をもつテレビ局だけだという。新聞社や雑誌社、通信社なども、合わせて数人のカメラマンを除くと、スタジアムに取材者を送り込むことができない。ひどい話だ。
もちろん、テレビは現代のサッカーにとって大金をもたらす最大の「パトロン」である。観客席にまったくファンがいなくても、テレビ放映権がもたらす巨額の収入でプロサッカーは成り立つ。極端に言えば、観客は、現在のプロサッカーにとってはテレビ中継を雰囲気の良いものにする「エキストラ」に過ぎない。
その証拠がワールドカップの財政構造である。1998年までは、ワールドカップでFIFAの手にはいる収入は、入場料、放映権料、そしてスポンサー料の「3本柱」であり、円グラフにすると、まるでメルセデスベンツのマークのように釣り合っていた。そしてその総収益の一部を開催国協会に還元していた。ところが放映権料が一挙に暴騰した2002年大会以後は、入場料収入はすべて開催国のものとなっている。観客から得られるものがFIFAにとって「取るに足らない」ものとなった証拠だ。
もちろん、欧州の主要国と比較すれば10分の1にも満たない放映権料で運営している日本のJリーグにとっては、いまなお入場料収入は非常に重要な「財政の柱」である。だからリーグもクラブもファンサービスに全力を尽くす。そのために、新聞・通信社・雑誌などのメディアにも、しっかりと対応する。現在のJリーグの収入構造こそ健全で、プロサッカー興業を通じて多くの人を幸せにするバランス点であると、私は思っている。