■タイプライターを打ちてし止まん

 かつて「和文タイプ」という装置があり、私が知る限り、昭和時代に契約書の作成などに用いられていた。しかし2000字を超す漢字のなかから活字を探しながら打ち込んでいく作業には熟練を要し、また専門家でも打ち込みのスピードも非常に遅かった。

 アルファベットの大文字と小文字、そして数字といくつかの記号を入れても文字の種類が100に届かない欧文のタイプライターなら、人が話す速度で打ち込むことも可能だが、「和文タイプ」は遠く及ばなかった。日本で文章の「機械書き」が一般化するのは、1980年代のワープロ専用機の普及まで待たなければならなかったのである。

 しかし世界のサッカーシーンでは、日本人がワープロを手にする1980年代まで、1世紀の長きにわたって、タイプライターを手にした記者たちが闊歩(かっぽ)していたのである。私がサッカー報道の世界で「駆け出し」たのは、まさにそうした時代だった。

 1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会。「エル・マタドール(闘牛士)」のニックネームをもつアルゼンチン代表FWマリオ・ケンペスが長い足にボールをからみつかせるようにして強引にドリブルで進み、得意の左足で強烈なシュート。ボールはゴールバーをかすめてわずか上にそれる。リバープレート・スタジアムを埋めた8万人の観衆から地響きのようなうなり声が起こる。

 その直後、私の四方八方から「ガシャガシャ!、ガシャガシャ!」と速いテンポの機械音が聞こえてくる。記者席の何百人もの記者たちが、目の前の机に置かれたタイプライターをいっせいに叩いているのだ。そのけたたましい音は、まるでマシンガンを思わせる。そしてその音は、数十秒も続くと、潮が引くように消えていく。

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