■サッカーはまず「部活」として広まった

 日本で初めて本格的にフットボール(ア式)に取り組んだのは東京高等師範学校(東京高師)の学生たちだった。東京高師は教師を養成するための学校で、現在の筑波大学の前身となる。

 1893年には柔道の創始者として知られる嘉納治五郎が同校の校長に就任。1896年には8つの運動部が設けられ、その一つがフートボール部だった(現在の筑波大学蹴球部の前身)。

 1903年には英国留学から帰国した体育専門の坪井玄道教授が持ち帰ったフットボールの専門書をフートボール部の中村覚之助が翻訳して出版。そして、中村をはじめ当時の学生たちは日本で初めて本格的に正式なアソシエーション・ルールに則ってフットボールに取り組み始め、1904年には横浜の外国人たちのチームに挑戦した。

 最初は外国人たちにまったく敵わなかったが、1909年には外国人クラブに初めて勝利するまで強化。また、東京高師の卒業生が全国の旧制中学に教師として赴任したことによって、サッカーは全国各地に普及していった。

 1917年5月には日本、中国、フィリピンが参加する国際的総合スポーツ大会「第3回極東選手権大会」が東京の芝浦で開催された。第1回、第2回大会には日本はごく少数の選手しか参加していなかったが、地元開催の第3回大会は全競技に出場することとなり、サッカーにも東京高師が日本の代表として出場した。

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