日本サッカー協会が設立されて、来年で百周年となる。現在開催されている大会が記念すべき第100回となる天皇杯は、Jクラブ以外の参加チームが上位で活躍する可能性が大いに高くなっている。Honda FCを筆頭とするJFL勢や大学の強豪たちにはビッグチャンスの到来だ。では100年前、天皇杯はどのように始まったのか。日本サッカーに何が起こったのか。その歴史をひもとき、今年の見どころと優勝の行方をうらなう。
■日本人による最初のフットボール
1858年に徳川幕府がアメリカとの間に修好通商条約を結んだことによって日本は開国した。1868年には幕府が倒れて明治政府が成立。新政府は国の近代化のために積極的に西欧の技術や制度を取り入れ、政治、経済、軍事をはじめ各分野で「お雇い外国人」と呼ばれる欧米の専門家が招聘された。また、多くの外国人青年が英語教師として日本全国の学校に赴任した。
教育も西洋化され、その一環として西洋式スポーツも取り入れられることとなった。
日本人が初めてフットボールをプレーしたのは東京・築地にあった海軍兵学寮(後の海軍兵学校)でのことだったと言われている。英国海軍の顧問団が招かれて日本人学生の教育に当たったが、彼らは学生たちにフットボールなど英国式のスポーツを奨励した。その顧問団長がカナダ生まれのスコットランド人、アーチボルド・L・ダグラス少佐だった(着任後すぐに中佐に昇進)。
また、虎ノ門にあった工部省工学寮(東大工学部の前身)でもスポーツ教育が取り入れられ、スコットランド人の土木測量技師のリチャード・ライマー・ジョーンズが日本人学生相手に熱心にフットボールを指導した。
いずれも、1873年から翌1874年にかけての冬ことだった。
その後、各地に設けられた旧制中等学校(現在の高校生年代)でもフットボールは取り入れられたが、いずれも簡略化したルールによるものだったようだ。