日本のサッカー界を牽引してきた内田篤人が、8月23日のホームG大阪戦(カシマスタジアム)で現役生活にピリオドを打った。
鹿島で史上初の3冠達成、シャルケで欧州チャンピオンズリーグのベスト4入り、日本代表メンバーとしてW杯に2度の選出など、輝かしい実績を誇る男の、最後のプレーだった。
その内田に、弊社が発行する『Football Bar』(フットボール・バル)で、かつて2万字インタビューを敢行している。内田は何を考え、何を目指していたのか。2014年当時のインタビューからその思いを探る。
「でも、大木さんは、もう僕が代表辞めるって思っていたらしいですよ」
内田がそう話す大木氏とは、岡田武史日本代表監督の下で代表コーチだった大木武氏のこと。代表コーチを務めた後、ジュビロ磐田のユースで指導していた大木氏は、このインタビュー直前にそのジュビロユースの遠征でドイツに来ており、空港で話をしたのだという。
「代表を引退するんじゃないかって。22歳で。『お前ならやりかねない』って(笑)」
2014年インタビュー時点で代表キャップが65に達していた内田は、オリンピックやACLに出場し、19歳から日本代表に入っていた。
「逆に、あのときの僕を岡田さんもよく使ってくれたなって思って。確か僕は19歳だったと思うんですけど、ポンって代表に入れてくれて」
若くしてA代表だったことについては、こう話す。
「あのときは、結構キツかったですね。でも、グラウンドに立てば結果を出さなきゃいけないし。今思えば、よくやってたなって思いますけどね。19、20歳ぐらいで、しかもディフェンスラインにポンって入って」
若くして日の丸を背負って戦い、22歳でシャルケに移籍している。
「いや、まず海外に行きたくなかったし。Jリーグでいいやって。鹿島がすごく好きだったんですよね。だから、のんびりやればいいかなって思いました。
でも、やっぱり海外に行ってみると違うものもあるし、まだまだ差があるなってすごく思うので。上が見えれば見えるほどね。なんだかんだ、もう26だし。確実に半分じゃないですか。よくて半分という」