Jリーグの先駆けとなった国立競技場の大改修

 1991年の「世界陸上」に向け、国立競技場は1989年にトラックとフィールドを全面的に改修した。これ以前の国立競技場のピッチは、お世辞にも良いとは言えなかった。それまでも、国立競技場のピッチ下には排水のための配管が張り巡らされていたが、長年の使用で目詰まりが起き、機能は十分ではなかった。そのため、「表面排水」も行われていた。ピッチの中央部を高くし、ゴールライン、タッチラインに向けて低くする「勾配」をつけるのだ。このころ、ピッチから1メートルほど低いメインスタンド下の運営ゾーンに立つと、バックスタンド側のサイドに立つ選手の足は膝から上しか見えなかった。

 しかし1964年の東京オリンピックを前に改修して以来の大改修工事で、サッカーで使用するピッチはまったく新しく生まれ変わった。完全な「地下排水」とすることで、ピッチは真っ平らになった。バックスタンド側のタッチラインに立つ選手のシューズまで見えるようになったのである。

「地下排水」の能力を高めるために、基盤の上に不織布を敷き詰め、約5メートル間隔のグリッド状に排水管を敷設、その上に30~40センチの厚さで砂を敷き、その上部10センチほどには砂に改良材を混ぜた。芝生を元気に育てるには、芝が根を張る部分(「床」と呼ぶ)は保水力があると同時に、余分な水分はどんどん排出するものでなければならない。そのための材料として、砂が理想的だったのだ。

「夏芝」だけを使っていた従来の国立競技場のピッチは、冬になると枯れてしまっていた。1981年2月に第1回大会が行われ、以後毎年12月に開催されたトヨタカップでは、欧州のクラブの監督たちから「芝生はどこにあるのか」と揶揄されていたが、1989年の改修ではそこに「冬芝」を混ぜて育てる「オーバーシーディング方式」をとることで、冬でも緑美しいピッチが完成した。1993年にJリーグが始まったとき、すべてのスタジアムが冬でも美しい緑を保てる状態になっていたが、すべてこの国立競技場の例に学んだものだったのだ。

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