大住良之の「この世界のコーナーエリアから」 第20回「魔法のピッチ」の画像
どんな豪雨にも、1989年に改修された国立競技場のピッチには水たまりはできなかった。(c)Y.Osumi
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今日も緑のじゅうたんが目にまぶしい。地球温暖化によって、これまでに経験のないほどの炎暑や、とんでもない豪雨がスタジアムに襲いかかるようになった。今回は、そんな天災地変をものともせずにわれわれを迎えてくれる美しいサッカーピッチの話。

■小倉純二がブラッターの鼻を明かした

「これでは2試合は無理だ。3位決定戦は中止にして、決勝戦だけ行おう」

 窓の外を見つめながらそう言ったのは、ジョゼフ・ブラッターさんである。

 時は1993年9月4日土曜日午前10時。所は東京・芝の高輪プリンスホテル。当時ブラッターさんは国際サッカー連盟(FIFA)の事務総長であり、8月から日本を舞台に開催されていたFIFA U-17世界選手権(現在のU-17ワールドカップ)の大会期間中日本に滞在し、事実上大会の総責任者の立場にあった。この日は、大会最終日。東京・国立競技場で午後4時半から3位決定戦、そして7時半から決勝戦の2試合を行う予定だった。

 だがその朝、東京には前夜半来の叩きつけるような激しい雨が断続的に降っていた。前日午後に鹿児島県に上陸し、九州を縦断した後、四国をかすめ、中国地方を突っ切って日本海に抜けた台風13号の影響だった。鹿児島上陸時に930ヘクトパスカルという観測史上3位の勢力をもった「スーパー台風」は、西日本で死者・行方不明者48人を出し、関東地方には非常に強い雨雲を送り込んだのだ。

「たとえ雨が上がっても、3位決定戦をやればピッチは大荒れになってしまう。決勝戦を台無しにしたくはない」とブラッターさんが声をかけた相手は、小倉純二さんだった。当時の日本サッカー協会(JFA)専務理事である。

「いや、天気予報では午後には天気は回復するようです。ともかく、国立競技場に行ってみましょう」

 小倉さんには「勝算」があった。4年前に全面改修されたばかりのピッチをもつ国立競技場。その排水能力には自信があったのだ。この朝の降水量は数時間で優に30ミリを超していたが、雨が上がれば短時間で問題はなくなると考えていたのだ。

 大会本部の置かれた高輪プリンスホテルを昼過ぎに出発すると、国立競技場に到着するころには雲間から明るい日差しが降り始めていた。そしてブラッターさんが見たのは、強い日差しのなか、緑に輝くピッチだった。そのピッチに一歩足を踏み出して、ブラッターさんが驚いた。ぬかるんでいるどころか、まるで今朝の豪雨がうそだったようにしっかりとしていたからだ。

「カバーをかけてあったのか」とブラッターさん。

 小倉さんはひと言「ノー」と答えた。

「ではどんな魔法を使ったのか。日本のテクノロジーは本当に素晴らしい!」

 ブラッターさんは、もちろん、予定どおり3位決定戦も行うことを決めた。チリ対ポーランドの3位決定戦は激しい攻防となり、PK戦にまでもつれ込んだが、その試合が終わり、ナイジェリア対ガーナ、西アフリカ同士の決勝戦を迎えたとき、国立競技場のピッチはまるで1週間前から試合を待っていたかのように美しく夜間照明のなかに映えていた。

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