■芝生がスポーツ文化の進歩を証明する

 当時は「浦和市」の所有だった駒場競技場では、スタジアムの管理を担当していた松本栄一さんが異常な暑さに気づき、スタッフに朝4時か5時に水を撒いてほしいと要望した。気温が上がらない時間に撒かれた冷たい水をたっぷり「体内」に溜め込んだ芝生は、日中の猛暑に耐えた。

 だが、その浦和市がさいたま市になったばかりの2001年秋に完成した埼玉スタジアム(埼玉県所有)では、いきなり大きな打撃を受けた。10月13日のこけら落としの試合(浦和×横浜FM)は悪くなかったのだが、「冬芝」への転換に失敗し、それから1カ月も経ずに迎えた11月7日の国際親善試合、日本代表×イタリア代表では、芝生が至るところでめくれてひどい状態となってしまったのだ。半年後に開幕するワールドカップに向け、日本の関係者に大きな不安を与える出来事だった。

 埼スタと同じ2001年に完成した愛知県豊田スタジアムでも、長い間、メインスタンド側中央の幅15メートルほどの地域の芝生の育ちが悪く、非常に苦労した。国内のスタジアムには例がない急角度でスタンドが屹立している豊田スタジアム。その部分には、ほとんど日光が当たらなかったのだ。

 芝生は生き物である。その土地の気候、年間を通じての気温動向、降水量、優越する風向き、スタジアムの形状などにより、育成管理の方法も変わってくる。夏冬を通じて緑に保つといっても、夏芝と冬芝が入れ替わるシステムのところもあれば、夏芝だけで緑を保つ工夫をしているスタジアムもある。それぞれのスタジアムにはそれぞれふさわしい育成管理方法があり、けっして画一的にできるものではないのだ。

 1989年の国立競技場の大改修を機に、日本のサッカースタジアムのピッチは「革命的」と言っていいほどに変化した。1年を通じて美しい緑が保たれるようになり、近年増える一方の豪雨にも対応できるスタジアムも増えた。それは、何もない日には目立たず、ただのサッカーピッチのように見えるかもしれない。しかし日本のスポーツ文化が過去30年間に実現した長足の進歩の証拠に違いない。

 1993年9月4日、豪雨が上がって数時間後に何ごともなかったようにU-17世界選手権のクライマックス2試合を迎えた国立競技場の「魔法のピッチ」。ブラッターさんの感嘆は、このときまだ激化していなかった2002年の招致活動において、日本の試合運営能力に対するFIFAの大きな信頼につながった。

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