■試合によって服装をかえる理由
さて、サッカーを取材する記者がすべて私のように「自由人」と思ってはいけない。新聞社や雑誌社に勤める人もいる。仲間の記者たちは、おしなべて、服装は私よりきっちりしている。中には、夏でもジャケットにネクタイという人もいる。少なくともジャケットは着ているという人が多い。
だが、きっちりとした服装をするのは、彼らが「会社員」だからというだけではない。1993年秋、カタールのドーハでワールドカップ・アジア最終予選の取材をしたとき、若い「自由人」の記者が2人、日本の試合日に限ってネクタイを締め、ジャケットでスタジアムに来るのに気づいた。
10月のドーハは暑く、記者席は、Tシャツ姿、短パン姿も珍しくなかった。日本人記者のなかには、アラブの人たちが着ている「カンドゥーラ」という服をどこからか手に入れてきて、それを着て取材にくる人もいた。アラブの人びとは、白い長そでのワイシャツを足首のところまで伸ばしたようなワンピースの「カンドゥーラ」を着、頭には民族を表す「クトゥラ」と呼ばれる布をかけている。
「この気候なら、この服装がいちばん楽」と得意そうだった。
そのなかで、2人の若い記者のネクタイ姿は目を引いた。
「どうしたの?」
気になることがあると、私は聞かずにはすまない。彼らの答えは、私を深く感動させた。
「日本にとって大事な試合だからです。僕たちも、身を清めてきました」
立派だと感心した。自分自身の仕事や取材対象に対するリスペクト、その「心構え」が人間として素晴らしいと思うのだ。
その後も、真夏の試合でネクタイ姿の記者を何回も見た。聞くと、「大事な試合だから」と、ドーハの2人とまったく同じ答えが返ってきた。その何人かは、当時の日本代表監督から酷評されていたスポーツ紙の記者で、ときに監督からひどい扱いをされることも少なくない記者だった。
スタジアムにネクタイを締めてくるかどうかが問題ではない。会社の編集方針によって、紙面にはときどきとんでもない記事が出てしまうこともあるが、取材記者の多くは、それを服装として表すかどうかは別にして、取材対象であるチームや選手、そしてサッカーに対して敬意を払い、誠意をもって取材に当たっている。この事実を、読者の皆さんに、そして何より、選手や監督、協会の役員たちに知ってほしいと思うのだ。