■マラカナンの記者室で急病に

 みんなが私を見てクスクス笑っている。ときは1977年6月。ところはリオデジャネイロのマラカナン・スタジアムの記者室。私にとって初めての南米取材。アルゼンチンに1週間余り滞在してアルゼンチン対西ドイツなどを取材し、その後リオに移ってまた数試合取材する予定だった。その最初の試合でマラカナンに行ったときの話だ。

『サッカー・マガジン』にブラジル・サッカーの写真を送ってくれていたリオ在住の望月雅臣カメラマンに連れられて、私は富越正秀カメラマンとともにあこがれのマラカナンにやってきた。すると、記者室の記者たちが「フフッ」と笑いながら私を見るのだ。それに気づいた私は、望月カメラマンに「みんな何を笑っているのか」と聞いた。

「みんなね、何の病気かって言ってるんだよ。リオではね、ネクタイをするなんて、病院に行くときだけなんだ」

 なるほど。その日、私はスーツにネクタイという姿だったのだ。

 6月の南米。アルゼンチンは寒そうだし、リオは初夏のような気候と聞いていたので、私は約3週間の取材に冬用と夏用、なんと4着ものスーツをもっていった。私の旅行カバンは、たしかに「スーツケース」だった。

 もちろん、いまでは海外取材にスーツなどはいっていない。ワールドカップでは、大会直前のFIFA総会取材のためにジャケットとネクタイを用意したことはあったが、2010年大会以来やめた。いまの私のスーツケースは、パソコンや携帯電話につないで使う器機やケーブルであふれ、スーツなど入れる余地はない。だが1970年代には、着る物のほかには、数冊の原稿用紙がはいっていればよかった。

 ブエノスアイレスは「冬」というより「晩秋」に近く、私のスタイルはなじんだ。みんなスーツとネクタイ姿だったからだ。だがリオデジャネイロは別世界だった。ネクタイをしている人などいなかった。さすがに仕事の場で短パン姿はいなかったが、ほとんどの人がTシャツ姿だった。そんななかにスーツ姿の異国の記者がはいっていったら……。こうして、私は、マラカナンの記者室で笑いものとなったのだ。

PHOTO GALLERY 全ての写真を見る
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5