■彼だけが失わなかったもの

 しかしより重要な「8年連続2ケタ得点」の背景、それはその間に大きな故障をしなかったという点にある。

 毎試合大柄なディフェンダーたちから集中的に標的にされながら、興梠はするりとそれをかわし、ダメージを受けないすべを身につけている。それは、彼のプレースタイル、柔軟で、しなやかで、すうっと足が伸びるような「体の使い方」に秘密がある。

 彼のプレーには、まったく「力感」というものがない。若いころはそうではなかったが、現在のクリスティアーノ・ロナウドのプレーをイメージしてみれば、興梠とはまったく違うことは誰にもわかる。筋肉の力を100パーセント前面に押し出して体を運び、当たりにくる相手を跳ねとばし、シュートまでもっていくクリスティアーノ

 しかし興梠は、流れるように滑らかに加速する。ワルツを踊るように軽やかにターンする。強い筋肉で相手を跳ねとばすのではなく、相手の力を受け流し、水のように流れていく。

 ひとつのアクションを起こすとき、足や腕などその「作用点」だけに集中するのではなく、右足を動かすときにまったく関係のないような左肩が動き、それにと連動して、人体の自然なしくみに従って右足が無理なく動く――。そんなイメージだろうか。

 幼児は日々体の動かし方を覚えて成長していく。その動きを見ると、筋肉に頼ったり(頼るべき筋肉が足りない)がんばったりするのではなく、実に理にかなった動きをする。人間は本来、自分の体の各部を協調させていろいろな動作をおこなう能力をもって生まれてくるのだが、成長していく過程で偏った体の使い方になってしまったり、一部だけに意識が集中して「協調」を失ってしまう。しかし興梠慎三は、Jリーグの選手だけでなく、現代のサッカー選手のなかでも類いまれな「体の使い方」の名人なのだ。それが興梠が試合に影響を与えるようなケガをほとんどせずに活躍してこれた最大の理由であり、同時に、彼の「美しさ」の根本的な要因である。

 ペナルティーエリアにはいってからの興梠のクールさを知らないものはいない。多くの選手がペナルティーエリアのラインを越えるだけで緊張し、余計な筋肉を使ってしまうのに対し、興梠はそれまでと同じように自然な動きのなかでプレーができる。GKの動きやポジションを見て、反射的に行うループシュートやタイミングを外したシュート。そしてフリーの味方への決定的なパス。それも、「体の使い方」のたまものだ。

 たとえば物をつかむとき、私たちは手のひら側の筋肉を緊張させ、手の甲側の筋肉を弛緩させる。手の甲の筋肉も緊張させてしまったらつかむことができないからだ。あらゆる「動き」の背景には、筋肉の緊張と弛緩(しかん)の組み合わせがある。ところが、多くの選手が、弛緩させるべき筋肉まで緊張させ、その結果、自らの動きにブレーキをかけてしまう。

 しかし「体の使い方」の名人である興梠には、こうした「ブレーキ」がない。無駄な緊張がなく、スムーズな動きでゴールに迫るから、クリアな視野をもつことができる。そしてそれが想像力豊かなシュートのアイデアやラストパスを生む。

 ヘディングのうまさも興梠の大きな特徴だ。彼にはヘディングによる得点も多い。175センチの彼がヘディングでゴールを量産する背景のひとつには、柳沢から学んだ動き出しのタイミングがある。味方のクロスに合わせて「いつ、どこへ」動き出すべきか、興梠ほど熟知している者はいない。そしてここでも、「体の使い方」のうまさが生きる。GKのポジションを見て、瞬時に必要なところにボールを送り込むことができる「体の使い方」が、彼のヘディング技術の重要なポイントになっている。

 「体の使い方」の専門家によれば、幼年期にもっている協調した体の使い方を、「指導」や「訓練」によって、人間はどんどん失ってしまうという。興梠がそれを保ってきたのは、子どものころからの生活であったり、運動の仕方にあったと、私は想像している。体を協調させて使う自然な動きをどう保たせていくか、日本のサッカーは早急に研究する必要がある。

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