熊崎敬の「路地から始まる処世術」第1回 コロナ禍で考える「サッカーというゲームの本質」
トニーニョ・セレーゾ監督 写真:アフロスポーツ
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新型コロナの感染拡大で、私たちの日常は大きく変容しました。私にとってつらいのは、旅に出られないということ。旅にはトラブルがつきもの。しかし異国の地に身を置くことで、サッカーというゲームの本質が見えてくるのです。

■ブラジル暮らしの日本人女性が見せた機転

 海外を旅すると、大なり小なりトラブルが降りかかる。

 2014年、ブラジル・ワールドカップを取材したときのこと、私はリオ・デ・ジャネイロから東北地方のナタウに飛んだ。

 搭乗者の半数近くが日本人だった。というのも翌日、この街で日本代表がギリシャと戦うからだ。

 機体は、密林を切り拓いた建設途上の空港に着陸した。ターミナルは建設中で、空港と街を結ぶバスも見当たらない。

「おいおいおい……どうするのよ」

 灼熱の太陽の下で呆然とする、私たち日本人。しばらく経って、そこにおんぼろのミニバスが横づけされた。

「さあさあみんな、これに乗って!」

 日本人の女性が大声で叫んでいる。私は言われるがままバスに乗り、しばらくすると満席になった。彼女は人数をカウントし、ポルトガル語で運転手と話し込んでアナウンスした。

「はい、運賃ひとり○レアルお願いします!」

 それぞれが支払いを終え、バスは車体をきしませながら市内へと走り始めた。斜め前に座った彼女に、私は声をかけてみた。

 果たして、予想は当たった。彼女はブラジル在住3年目。どおりでポルトガル語が上手いわけだ。そしてえらぶる風もなく、彼女は言う。

「ブラジルって予定通りに物事が進まないから、気がつけばトラブル慣れしていました。今日みたいなことはよくあるけど、動けばなんとかなりますよね」

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