■セレーゾが考える日本サッカーの課題
彼女と言葉を交わす中で、脳裏に浮かんだ人がいる。
トニーニョ・セレーゾだ。
1980年代のブラジル代表で、ジーコ、ソクラテス、ファルカンとともに「黄金の中盤」を形成した名手。指導者に転じて鹿島アントラーズを2期、通算8年率いて3大タイトル5つを獲得した。
そのセレーゾの言葉が、ナタウでよみがえったのだ。
「日本のサッカーについて、どう思います?」
ひどく漠然とした私の質問が、どうやらツボに突き刺さったらしく、ひげのセレーゾが勢い込んでしゃべり始めた。
彼の主張を要約すると、こうなる。
「私が思うに、日本人はパターン練習にしばられすぎだ。こうなったらこう、次はこうして最後はこう。流れを細かく決めて、延々と繰り返す指導者が多い。でも、ちょっと待って。これはサッカーだよ。計画通りいかないことのほうが、よっぽど多いということを忘れちゃいけない」
決めごとが必要ないとは言わないが、決めごとにしばられすぎると、問題が起きたときにパニックになる。だから、ほどほどにしなさい——。
セレーゾは、こう言いたいのだ。
それから数年後、今度は日本人の私がセレーゾの国を味わうことになった。
ワールドカップを見物しながらブラジルを旅していると、セレーゾの言葉が腑に落ちてくる。
ブラジルという国は、思い通りに進まないことばかり。
私が降り立ったナタウは、格好のサンプルだろう。
ワールドカップに間に合わせるはずの新空港は、ターミナルが建設途中。飛行機は発着しているが、肝心の街へのアクセスが機能していない。
日本とギリシャが激突するスタジアムに足を運ぶと、プレスセンターのいたるところで雨漏りがしている。
日本人なら「お客さんにお見せできない」と恥じるかもしれないが、ブラジル人は気にしない。試合さえできれば、間に合ったと考える。
そうそう、サンパウロに長年暮らしている日本人の知り合いが、あるとき国民性の違いを端的に教えてくれた。
「店をオープンするときの過程が、日本とブラジルでは全然違うわけ。日本人は綿密なマニュアルをつくり、予行演習をきっちりやってからオープンさせるでしょ? こっちは違う。とりあえずオープンして、“問題が出たら、そのとき考えればいい”って考える」