■サッカーの本質と“ポストコロナ” 

 1923年に関東地方を襲った直下型地震(関東大震災)の後、東京では多くの犠牲者を出した東部の下町から、より安全と思われた西部の山の手に人口が移動したことがある。そして、山手線西側の各ターミナル(池袋、新宿、渋谷)から西に向かって鉄道網が整備されていった。それと同じように“ポストコロナ”の時代に人々は分散を考えるようになるだろう。

 人々が分散して中小都市に暮らし、常に社会的距離を保つことが常態化した“ポストコロナ”社会ではスポーツ観戦のスタイルも変化せざるをえない。満員の立ち見席に立錐の余地もないほどの人々が密集するのが、20世紀のサッカー観戦の典型的な風景だったが、それは遠い過去の記憶となるだろう。

 もちろん、スタジアムでの生観戦という楽しみがなくなるわけではないだろう。普段の生活で密集を避け、人と人の距離を取ることが日常化する“ポストコロナ”社会だからこそ、スポーツ観戦は人々が互いのつながりを意識して空間を共にするための特別の価値を持つ空間となるはずだ。

 スポーツシーンの中心は10万人もの観客を集める大都市のビッグスタジアムではなく、中小都市に立地する中小規模の快適な環境のスタジアムでの観戦へと移っていくだろう。リモート観客が通信機器を使って声援や拍手を届ける技術もいろいろと開発されたが、この技術は観客が入るようになったスタジアムでも使えるはずだ。

 大都市のビッグスタジアムから、中小都市の中小規模のスタジアムへ。こうした変化はJリーグにとって必ずしも新しいものではない。

 Jリーグというリーグは大都市のクラブがリードしていたわけではない。大都市に立地し、大規模スタジアムをホームとしている浦和レッズ横浜F・マリノスFC東京などは強豪チームではあるが、Jリーグの歴史上「絶対的な強豪」であったことはない。Jリーグが中断している間に、多くのメディアで「歴代最強のJクラブは?」といった企画があったが、そこで名前が出てくるのは鹿島アントラーズであり、また20世紀末から21世紀初頭にかけてのジュビロ磐田だった。ともに、県庁所在地でもない地方都市のクラブだ。そして、今のJリーグは、全国の中小地方都市にクラブが多数存在する。未だに感染者ゼロという岩手県にも、ちゃんとJ3クラブが存在するのだ。

 加盟が12球団しかなく、大都市にしか球団(クラブ)が存在しないプロ野球と比較すれば、Jリーグが地方分権的であることは一目で分かる。ヨーロッパ主要国のサッカーリーグでも、やはり首都や大都市のクラブが大きな位置を占めている。主要国リーグでは、ロンドンやマンチェスター、リヴァプール、マドリードやバルセロナといったように、その国を代表する大都市のクラブが圧倒的な強さを誇っている。その点でも、毎年のように大混戦となるJリーグは特異な存在だ。その在り方はまさに“ポストコロナ”に相応しい。

 スポーツの在り方というのは、その時代々々で姿を変えていく。19世紀の後半に近代的なフットボールが生まれた頃、産業革命による時代の変換期にあった。決まった時刻に工場に出勤し、一糸乱れずに働くという工業化時代の新しい生活には、「規律」というものが必要だった。工場を経営する資本家たちは、労働者たちがそうした「規律」を身に着けるためにも役立つと考えて、労働者がフットボールをプレーすることを許容もしくは奨励したのだ。

 だが、時代は変わり、“ポストコロナ”の時代は規律より自立が大切で、一斉に出社し、一斉に退社する生活ではなくなるのだ。その点、サッカーというのは監督が命令を下して、全選手がそれに従って整然とプレーすることが不可能で、「自立した個」である選手が自分の頭で判断してプレーを選択するスポーツなのだ。かつては19世紀の時代精神を体現したスポーツだったサッカーは、“ポストコロナ”の時代の分散型社会に相応しいスポーツにもなりえるのである。

 Jリーグも、今後は“ポストコロナ”の時代を意識しながら進んでいくべきであろう。

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