■密集から分散への転換点
ここまで新型コロナウイルスの感染拡大を受けてのJリーグの対応について振り返りつつ、今シーズンの過密スケジュールの問題点を論じてきたが、最後に「ポストコロナ」社会でのJリーグの将来について考えてみたい。かなり長期的な将来の話である。
さて、外出自粛が続いた中で「テレワーク」を体験された方も多いだろう。僕もここ数か月でオンラインでの会議や飲み会を初めて経験した一人だが、なかなか快適だったので驚いた。いつも無口な人はオンライン会議でもやはり無口だったし、いつも流れをリードする人はオンラインでも積極的に会を仕切っていた。オンライン飲み会のおかげで、何年もゆっくり話していなかった旧知の人とも話ができた。また、いつもはスタジオで参加していたラジオ放送ではリモート出演も経験した。
会議にしろ、飲み会にしろ、家に居ながらにして実行できるので行き帰りの心配がないのがうれしかった。フリーランスにとっては最大の支出項目である「交通費」もほぼほぼゼロですんだし……。
もちろん、自粛期間中でも用事があって都心まで出かけたこともあったが、電車はどこもガラガラで7人掛けのロングシートに間隔をあけて1人か2人が座っているだけ。普段の満員の電車に比べてなんと快適だったことか……。
こうしたテレワークの世界をひとたび経験してしまったら、元に戻りたいと思う人がどれほどいるだろうか? これからは大して重要でもない会議のために満員電車を乗り継いで出かけるのは億劫になってしまうことだろう。“ポストコロナ”の社会でもテレワークはさらに普及していくことだろう。時代は一挙に進んだ。
技術的な改良によってテレワークがもっと便利になれば、何も大都市に密集して暮らす必要もなくなってくる。大都市での密集した暮らしは、今後いつ再び襲ってくるかもしれない新たな感染症を考えたら危険だし(次のパンデミックは、エボラ出血熱やデング熱のような致死性が高いものかもしれない)、台風や大地震、津波などさまざまな災害を考えても密集による危険は大きい。
膨大な数の人々が密集して暮らす大都市というのは、19世紀以来の工業化時代に相応しい暮らしの在り方だった。工業化時代には多くの労働者が工場に集まって働く労働集約型産業が花開いた。工場で大量生産された商品は大都市に暮らす人々が消費していった。
近世(日本で言えば江戸時代)には、徳川幕府のお膝元である江戸はヨーロッパの主要都市を凌ぐ世界最大の都市だった。日本の近世以降の大都市、江戸、大坂、名古屋などはほとんどが海沿いに立地した。もともとは沖積平野の低湿地で人が住むにはあまり適していなかった場所だ。こんな所に大都市が築き上げられるようになったのは16世紀後半、安土桃山時代以降のことだ。土木技術が発展して低湿地帯を埋め立てて都市が建設され、上水道や下水道、運河が完備された。海と河川、運河を組み合わせた水運によって江戸や大坂は日本全国と物流でつながっていた。
低湿地帯や沿岸部を効率よく埋め立てることができたのは、14世紀以降「小氷期」と呼ばれる寒冷期に入り、極地などの氷河が増えて海面が低下したからでもある。
しかし、“ポストコロナ”の時代には大都市に密集する暮らしは時代遅れのものとなっていく。また、それまで「小氷期」にあった地球は19世紀以来温暖化してきている。このまま温暖化が進んで海面が上昇すれば、沿海部の大都市は暮らしにくくなっていくことだろう(数十年のうちに再び寒冷化するという説もある)。
こうしてさまざまな意味で多くの人々が密集して暮らす生活は過去のものとなり、密集から分散へと流れは変わっていくだろう。
情報を扱う現代の産業にとって労働者や消費者が大都市に密集している必要はない。質の高い生活を送るためには密集はむしろ負担になってしまうのだ。“ポストコロナ”の社会は、大都市への密集ではなく、中小都市への分散の方向にベクトルを変えるはずだ。