■もうひとつの魔法のクツ
「あのクツに秘密があるに違いない」と思ったもうひとつ場面は、オランダ人のウィール・クーバーである。
欧州で屈指の名監督だったクーバーは心臓を悪くして2回の大手術を受け、その間に名選手の技術をじっくりと研究した。そしてそれを少年少女に教える方法を考え出した。それが「クーバー・メソッド」であり、いまでは日本を含む世界の数十カ国でたくさんの少年少女に伝えられている。
1983年12月、そのクーバーが初めて来日し、トヨタカップ(この年はリバプール対インデペンディエンテだった)を見るとともに、日本国内で何回かのデモンストレーションセッションを行った。
クーバーを日本に連れてきたのはフランツ・ファンバルコムだった。1970年代前半に読売サッカークラブの監督を務めた人で、彼が日本時代の「同志」だった読売新聞の牛木素吉郎さんを頼ったのが、日本にクーバー・メソッドが根づく要因となった。
牛木さんは、持ち前の企画力と行動力で日本サッカー協会や筑波大学、帝京高校でのデモンストレーションセッションを手配し、翌年3月にはクーバーに1カ月間滞在させ、キリンビールにスポンサーになってもらって、東京、静岡、名古屋、松山、大阪でのクリニックの開催まで実現した。牛木さんから命を受けて、私も一部クリニックのお手伝いをした。
そんなある日、私はクーバーのクツに目を止めた。
「これがクライフ」などと言いながら名選手のテクニックを再現するクーバーは、このとき59歳。2回の大手術で痩せこけ、70歳以下には見えない風貌だったが、その軽やかなステップと身のこなし、そして何よりも、足に吸い付くようにボールを自在に操るテクニックは驚くべきものだった。その秘密が、彼のシューズにあると感じたのだ。
水色と灰色、地味なツートンカラーのシューズは、甲革だけでなく靴底も非常に薄く、そして柔らかそうだった。彼はそのシューズを宝物のように扱った。人工芝でも、体育館でも、そして土のグラウンドでも、セッション終了後、彼はかかえるようにそのシューズをぬぐうと、大急ぎでシューズバッグにしまった。
「そのシューズに、何か秘密があるのではないですか」
だいぶ日がたってから、シューズをしまおうとしている彼に私は思いきって聞いてみた。
だが彼はあっさりとこう言った。
「これかい、普通のシューズだよ。私も筋力が落ちたから、柔らかくて軽いものにしているだけさ」
実は、「秘密」があったのは、シューズではなくボールのほうだったのだが、その話はまたいつか……。