■長かった旅の遍歴
シューズはサッカー選手が最も気を使う用具だ。ボールをのぞく他の用具は、たとえワンピースやそで無しのユニホームでも、プレーには直接的な影響はない。しかしシューズの良し悪しは、直接、ボールコントロールや運動量に響いてくる。
サッカーを始めたころ最初に買った本格的なサッカーシューズ(私たちは「スパイク」と呼んでいた。いまでもそうだろうか)は、大失敗だった。デザイン優先で買ってしまったからだ。たしか「ヤスダ」の「バンコック66」というモデルではなかったか。
当時、私は『サッカー・マガジン』で見たブラジルの選手たちのはく真っ黒なシューズが最高にかっこいいと思っていたのだが、運動具店に行くと、何もラインのないシューズはこれひとつだった。だが、革の靴底にクギでアルミのスタッドを打ち付けるこのシューズが私の足になじむことはなかった。
以後、「理想のシューズ」探しの「放浪」が始まる。
小遣いとの相談だったから、外国製の高級シューズを買えるわけがない。当時、「オニツカ」(後のアシックス)はまだサッカーシューズに力を入れていなかったから、「ヤスダ」や「ミツナガ」といった東京のメーカーのクツが多かった。しかし「これだ」と思うものには、なかなか出合うことができなかった。
「放浪」は、大学生になっても、社会人になっても続いた。「アディダス」や「プーマ」の輸入シューズを買ってみたこともあったが、足になじまないという点では日本製の安いシューズと大差なかった。
ようやく長い旅が終わりを迎えたのは、1980年代はじめごろ、30代を迎えた後だった。アディダス「コパ・ムンディアル」との出合いである。
薄く、柔らかなカンガルー革、真っ白な樹脂でつくられた適度に反発力のあるソール。そこに黒いスタッドが前方に8個、かかとに4個、計12個、固定されている。かかとの後ろの部分が固い素材でつくられており、かかと全体を包み込むように非常にしっかりとしているのも特徴だった。つやのある黒に白い3本ライン。シンプルで、機能美の極致。はきやすさ、走りやすさ、ボールタッチの伝わり方など、まさに私が求めていた理想のシューズだった。
このころ、アディダスのシューズは世界各地の工場で生産されていたのだが、このシューズはバイエルン州の「シャインフェルト」という小さな町にある自社工場で製作されていた(現在も同じ工場でつくられている)。その工場の研究チームが1982年ワールドカップ用にと1979年に開発したのが「コパ・ムンディアル」だった。スペイン大会用だったから、スペイン語で「ワールドカップ」という名称を与えられたのだ。狙いどおり、「コパ・ムンディアル」はワールドカップを席巻した。