大住良之の「この世界のコーナーエリアから」 連載第8回「マイデスク」の画像
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かつてサッカー少年だった大人たちの絶大な支持を受ける珠玉のコラム。いつもの重箱の隅をつつく超マニアックさより、今回はさらに細かな話。大住さんの取材七つ道具の大公開。

■ フルハウスなのに、ガラガラの記者席

 仕事場の机の横で、黒いバックパックがくしゃっとした形で置かれたままになっている。もう3カ月以上も使われていない。試合の取材に出かけるとき用のバッグなのだ。

 日本サッカーリーグを取材していた時代、記者の持ち物はたかが知れていた。ボールペン1本とノート1冊があればこと足りた。当時,私は会社名のはいった紙封筒にノートやペンを入れて取材に行っていたような気がする。

 もちろん、自分でつくった分厚い「資料ノート」や「リーグ名鑑」などもバッグに入れてもってくる人もいた。しかしその一方で、二つ折りした数枚の原稿用紙と黄色い軸に黒いキャップの「ビックボールペン」1本をコートのポケットに無造作につっこんで取材にくるM新聞のAさんのような猛者もいた。ときどき、Aさんは原稿用紙に書く手間もはぶき、記者席に引いた黒電話をつかむと、新聞社のデスクにソラで原稿を送った。それはそれで名人芸だったが……。

 しかし昨今の記者はそうはいかない。ノートやペンだけでなく、原稿を書き、送るために、また資料を探るためにパソコンが必要だ。「モバイルノートパソコン」と総称される持ち運び用のパソコン自体は重さ1キロあまりだが、そのほかに電源のアダプターをはじめとしたさまざま周辺機器も持ち運ばなければならない。重量は増える一方で、合計すると少なくとも6~7キロにはなる。手で持ったり肩にかけるバッグだと体がゆがんでしまいそうだから(事実、そうした「職業病」の仲間をよく見かける)、自然にバックパックが多くなる。

 2002年のワールドカップ時に、「体によさそう」と、コロコロと転がすバッグを使ってみた。確かに階段以外では非常に楽だった。しかし買って1年にもならないパソコンは、決勝戦の原稿を送り終えると同時に、力を使い尽くしたかのように息を引き取った。かわいそうなことに、バッグの振動がハードディスクにダメージを与え続けていたことに私が気づかなかったのだ。以後、取材に行く私の背中には、必ずバックパックがある。

 おっといけない。今回はバッグの話ではなかった。そのバッグの中にあるもの、スタジアムの記者席で私の机の上に広げられるさまざまなものが主役だった。

 その前にもうひとつ。スタジアムの記者席について書いておきたい。
 観戦時に誰でも感じることだろうが、スタジアムでは、観客席で小さくないスペースが記者席に割かれている。1人あたりのスペースを計算したら、けっして安いとは言えない入場料を払って見に来ている人の4人分から6人分になるだろう。VIPよりも大きなスペースが使われているのだ。

 だが慣れると、自分たちがそうした「超優遇」を受けていることに鈍感になってしまう。
 私が記者席の大きさにショックを受けたのは1990年ワールドカップ・イタリア大会で、列車が大幅に遅れ、キックオフの笛を聞いてからスタジアムに飛び込んだときだった。タクシーがついたのがバックスタンド側だったので、ともかく目の前のゲートから飛び込んだ。胸には取材のADカードがあるし、その試合の記者席のチケットももっている。スタジアムにはいればなんとかなるだろうと思ったのだ。

 入場門とゲートを突破し、観客席にはいって最初に目に飛び込んできたのがメインスタンドの2階いっぱいに広がった記者席だった。

 この大会は、申し込んだ試合の記者席用チケットを大会前に一括して受け取れるようになっていた。その結果、1次リーグでは、チケットだけ受け取って取材にこない記者が非常に多かった。スタンドは満員の観衆で埋まり、入場券を買うことができなかった人もたくさんいるはずなのに、「広大」と呼んでいい記者席にはまばらにしか記者がいない。
 ショックな光景だった。「こんなに優遇されているのだから、きちんと試合を見て、責任感をもって記事を書かなければならない」と感じたのである。

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