思い出の14番

 だがその先輩はいつも「12」番をつけて先発出場し、ゴールを取りまくった。本来は「補欠」の番号をつけて活躍するその先輩に、私はとても憧れていたのだ。

 そろそろみんなから返信が来たと思われるころ、友人に電話した。

「おれは12番だよな」

「12番は●※に決まった」

「あの日言ったじゃないか!」

 そう抗弁する私に、友人は冷たくこう言い放った。

「お前からは申し込み書がきていない」

 目の前が真っ暗になった。

「じゃあ、15番」

 これは日本代表で釜本邦茂がつけていた番号である。

「それも決まっている」

 私は声を落とし、すがりつくような顔で(きっとそんな顔をしていただろう)こう言った。

「じゃあ、小さいサイズで残っているのは何番なの?」

「14番だけ」

私のプレーは常に「14」番とともにあった
私のプレーは常に「14」番とともにあった

 こうして、私は「14」番をつけることになった。以後、私がプレーをするときには、常に背中に「14」番があった。別のチームにはいっても、最初割り当てられた19番から駄々をこねて「14」番を譲ってもらった。というわけで、私の「背番号14」の歴史は、1970年4月に始まる。すなわち、クライフより4カ月ばかり先輩ということになるのである。

 時は移って話は1997年11月16日、マレーシアのジョホールバル。

 この日、日本はイランを3-2で破り、ワールドカップ初出場を決めた。延長後半13分、中田英寿のシュートをイランGKが弾いたところに詰め、滑り込みながら右足でゴールに送り込んだのが岡野雅行だった。

 得点とともにワールドカップ出場が決まる「ゴールデンゴール」。意味もない叫び声を上げながら、頭のなかでは、私は意外に冷静だった。
 岡野の背中の番号を見ながら、「やっぱり14番だよな」と、その「呪術」にひとりうなずいていたのだった。

(了)

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