■釜本邦茂の「一撃」に屈するも…

 1972年に監督に大久保賢を迎えたのが、急成長のきっかけだった。JSLの創立メンバーでありながら1971年に最下位となって降格すると「廃部」にしてしまった名古屋相互銀行から大久保監督とともに、塩沢敏彦、横山孝治、小崎実など6選手が移籍し、一挙に戦力が整ったのである。

 1974年のJSL1部では前期こそ5分け4敗と無勝利に終わったが、夏にMFにジャイロ・マトス、ジャイール・ノバイス、アントニオ・ペレの3人を補強、4勝1分け4敗と、大きく星を伸ばした。最終的に10チーム中9位に終わり、入れ替え戦出場を余儀なくされたが、天皇杯では新日鉄、藤和不動産、東洋工業を下して決勝に進出し、1975年元日の決勝戦では釜本邦茂の一撃に屈し、ヤンマーディーゼルに1-2で敗れたたものの、ブラジル人3人で構成する中盤はどの試合でも相手を追い詰める力を見せ、すでに「JSLでも上位の力」があることを証明していた。

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