大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第180回「51年前の寒くて熱かった冬」(3) 元日決戦で釜本邦茂の一撃の前に沈むも…現・川崎フロンターレを苦しめた山口の雄の画像
川崎フロンターレの前身である富士通サッカー部は、かつてJSL1部の山口のサッカーチームの前に苦戦を強いられた。撮影/中地拓也

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、忙しかった正月の記憶。

■山陽新幹線の「終点」は岡山

 枚方の次は平生である。山陽新幹線は2か月後、この年の3月10日に岡山から博多まで開業し、一挙に九州まで行けるようになったが、この取材時点では岡山が終点だった。

 永大の「ホーム」は、山口県の瀬戸内海に近い平生町の永大の工場敷地内にあった。「スタジアム」というより「サッカー場」と呼んだほうがいいところで、両タッチライン沿いの中央部に5段ほどの観客席があるだけで、もちろん屋根などなく、試合時には「メイン」側に何張りかのテントを建てて本部やベンチなどにするといったシロモノだった。

 平生町の最寄り駅が、車で15分ほど、山陽本線の柳井駅だった。岡山で1泊し、早朝に山陽本線で出発。岡山から片道数時間はかかっただろう。広島を過ぎると、山陽本線は海際を走る。進行方向左手に冬空に似合わぬ穏やかな瀬戸内海を見ながら今井さんとおしゃべりしていたら、「遠い」と思う間もなく柳井に到着。タクシーでグラウンドに向かった。

 瀬戸内海気候といっても、冬は冬である。とくにこの年の1月、日本は強力な寒気団に覆われていた。風も強かった。

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