■またたく間に「JSL1部」に

 永大は第二次世界大戦後に大阪で設立された合板製作会社が住宅建設で急成長した会社だった。平生町には子会社である「永大木材工業」の製造拠点があり、サッカー部もその工場内に1969年に母体がつくられ、正式には1971年に永大工業サッカー部としてスタートした。この年に山口県の3部リーグで全勝優勝し、翌1972年は「飛び級」で1部に昇格、同年に一足飛びに「中国社会人選手権」と「全国社会人大会」で優勝を果たす。

 JSLは1972年に10チームによって2部が誕生したが、この年の1部は8チームのままだった。翌1973年に1部も10チームに増やすことにしたため、2部から2チーム、トヨタ自工と田辺製薬が自動昇格することになっていた。その結果、「全日本社会人大会」優勝の永大は、準優勝の帝人松山とともに、入れ替え戦を経ずにJSL2部への昇格を許された。そして2部1年目に優勝を果たすと、1部最下位の田辺製薬との入れ替え戦を1勝1敗(1-2、2-0)で制し、創部から3年、またたく間にJSL1部まで昇り詰めたのである。

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