大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第178回「31年前のアメリカW杯との違い」(2)5つ星ホテルも「格安」の時代、バウチャー開封で分かった「FIFAボロ儲け」のカラクリの画像
ドナルド・トランプ大統領とともに、今夏のクラブW杯を観戦するジャンニ・インファンティーノFIFA会長。来年の夏もこの光景が…。撮影/原悦生(Sony α1使用)

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは、「まさに隔世の感」。

■フランス大会でも「デジタル機」はひとりだけ

 1990年のワールドカップ・イタリア大会では日本の新聞社も全社ファクス送稿だった。原稿用紙に手書きし、それをスタジアムに隣接するメディアセンター内の電話局に持っていって送信してもらうのである。

 しかし、この1994年アメリカ大会では、日本の記者も大半が「パソコン通信」で原稿を送るようになっていた。その多くが使っていたのが、富士通・オアシスのノート型ワープロだった。私も、新聞社や雑誌社への原稿送りはすべてメディアセンターの電話線を経由してワープロ通信で行っていた。

 ただ、写真はまだデジタル時代にはなっていなかった。1994年大会時点では、すべてフィルムで撮影し、現像に回さなければならなかった。写真を電送するには、フィルムを円筒形の機械に貼りつけ、スキャンして、いわばファクスのように送るのである。当然、こんな装置を一介のフリーランス記者が持っているはずはない。送稿する新聞社の写真記者に渡し、送稿してもらうのである。

 1998年には記事作成と送稿では「デジタル化」が完了し、私もノートパソコンと発売されたばかりのコンパクトデジタルカメラを手にフランスに向かった。ただプロのカメラマンはこの大会までフィルム撮影が圧倒的多数派で、日本のフリーランスのカメラマンでデジタル機を使っていたのは富越正秀さんひとりだけだったと記憶している。

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