■「やむを得ず」元日開催
「天皇杯」には、もうひとつの「伝統」がある。決勝戦の「元日・国立」開催である。
これまでの記述でおわかりと思うが、「全日本選手権」はさまざまな時期に開催されてきた。11月あるいは10月の「秋」の大会として始まり、明治神宮大会と兼ねていた時期には10月に開催されていたが、1935年に「独立」してからは6月開催が多かった。そして戦後は基本的に5月に開催されるようになった。
当時の「全日本選手権」は出場16チームが基本。今日と同じ「ノックアウト式」で、1回戦、準々決勝、準決勝、決勝と進んだが、全チームが1会場に集まり、4つのラウンドを驚くことに4日連続で開催していた。
もちろん、「新幹線」などない時代である。鉄道をはじめとした国内交通が今ほど発達しておらず、大会参加のための移動が大変だったこと、完全アマチュアの時代、大会出場のための宿泊費などもできる限り抑えなければならなかったこと、何より仕事を休む日を極力減らさなければならないことなどの事情があり、戦後に生まれた「ゴールデンウイーク」が利用されたのである。
そして会場はさまざまな地域による「持ち回り」で、毎年変わっていた。
1963(昭和38)年度の第43回大会は、1964(昭和39)年の1月12日から16日まで神戸で開催された。前年の5月に東京オリンピックに向けた日本代表の強化日程が入り、10月には「プレオリンピック」の「東京国際スポーツ大会」が開催されてサッカーの日本代表が2チーム出場したため、全日本選手権の日程は、1月にしかとれなかったのである。出場チーム数も、半分の8に減らした。1月になったのは、苦肉の策だったが、年度末に近いことで評判は悪くなく、それが以後も続いていく。









