大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第177回「天皇杯はなぜ天皇杯なのか?」(2)GW実施、地域持ち回りを経て、ついに国立競技場への画像
今年度の天皇杯も準決勝まで行われ、FC町田ゼルビアが初めて決勝に進出した。撮影/原壮史(Sony α1使用)

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、日本サッカー界の大事なカップについて。

■「74歳」になる大会

 こうした経緯の後、1948(昭和23)年7月、戦後のアマチュアスポーツでは初めて、日本蹴球協会に対し、「天皇杯」が下賜された。ただ、「天皇杯」はその後2年間は東西対抗の勝者に贈られ、「全日本選手権」の優勝チームには、「朝日楯」とともに、当時の高橋龍太郎日本蹴球協会会長からの「高橋会長杯」が贈られた。

 そして1951(昭和26)年、初めて全日本選手権の優勝チームに「天皇杯」が贈られることになる。この年の大会は14チームを集めて5月24日から27日まで仙台の宮城野サッカー場で開催され、慶応BRB(慶応大学とOBで構成されたクラブ)が優勝して、初の「天皇杯全日本選手権優勝チーム」となった。

 すなわち、サッカーの「全日本選手権」は、スタートから30大会にわたって、「FA杯」→「JFA杯」→「朝日楯」→「朝日楯/JFA会長杯」という歴史をたどり、1951年にようやく「天皇杯」となって今日に至っているのである。

 1951年といえば、私の生まれた年である。「天皇杯全日本選手権」も、私と同じ74歳ということになる。歴史があると言うか、十分に「古びて」いるのである。105回の歴史を通じて、この大会全体を「天皇杯」と呼ぶことは、それほど無理があることではない。

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