サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、日本サッカー界の大事なカップについて。
■「74歳」になる大会
こうした経緯の後、1948(昭和23)年7月、戦後のアマチュアスポーツでは初めて、日本蹴球協会に対し、「天皇杯」が下賜された。ただ、「天皇杯」はその後2年間は東西対抗の勝者に贈られ、「全日本選手権」の優勝チームには、「朝日楯」とともに、当時の高橋龍太郎日本蹴球協会会長からの「高橋会長杯」が贈られた。
そして1951(昭和26)年、初めて全日本選手権の優勝チームに「天皇杯」が贈られることになる。この年の大会は14チームを集めて5月24日から27日まで仙台の宮城野サッカー場で開催され、慶応BRB(慶応大学とOBで構成されたクラブ)が優勝して、初の「天皇杯全日本選手権優勝チーム」となった。
すなわち、サッカーの「全日本選手権」は、スタートから30大会にわたって、「FA杯」→「JFA杯」→「朝日楯」→「朝日楯/JFA会長杯」という歴史をたどり、1951年にようやく「天皇杯」となって今日に至っているのである。
1951年といえば、私の生まれた年である。「天皇杯全日本選手権」も、私と同じ74歳ということになる。歴史があると言うか、十分に「古びて」いるのである。105回の歴史を通じて、この大会全体を「天皇杯」と呼ぶことは、それほど無理があることではない。









