後藤健生の「蹴球放浪記」第290回「新しいパスポートを申請しなくっちゃ」の巻(2) W杯予選で「北朝鮮」へ、入国の際の「特別な手順」、残った「11通の旅券」とアルゼンチンでの「痛恨事」の画像
当時のビザはたいていこんな感じ。これは1974年のポーランドのビザ。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生はサッカーを求めて世界中を渡り歩く。その際に、絶対に欠かせないアイテムがある。来年のワールドカップ取材のために“新しいモノ”を申請しようとしているが、初めてイングランドでサッカーを観戦したときから、日本のパスポートは大きく進化していた。

■最後のページに「渡航費用に関する証明」

 今の旅券は世界共通のB7版サイズですが、僕が最初にとってパスポートは縦に長い版のものでした。紺色の表紙に篆書体の「日本国旅券」文字と菊の紋章が入っているのは今と同じ。もちろん、ICチップなどは搭載されておらず(そんなものは存在もしなかった)、写真は持参した紙焼きの白黒写真をそのまま貼りつけて割印が捺されています。

 裏表紙には、現在のものとまったく同じ外務大臣の要請文が掲載されています。

 一方、最後の頁(ページ)には「渡航費用に関する証明」という欄があります。当時は外貨両替や円の持ち出しに制限があったので、旅行費用として両替をすると銀行がこの欄に必要事項を記入して印を捺すのです。

 ちなみに、円と米ドルの相場は1949年からずっと1ドル=360円の固定相場でしたが、1971年12月に1ドル=308円に円が切り上げられています。現在、1ドル=150円強ですから、円は今のちょうど半分の値打ちだったのです。そして、翌1973年には変動相場制に移行します。

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