
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム。今回のテーマは、憧れの背番号。
■ジーコやリティ、リネカー…華やかな顔ぶれ!
1993年5月15日と16日の両日にわたって行われた、Jリーグの最初のシーズンの5試合10チームには、背番号10をつけて先発した選手が10人いた。これは当たり前のことで、スタートから4シーズン、Jリーグでは選手に固定の番号を与えず、その試合で先発する11人が1から11番をつけることになっていたからである。
その「開幕10番」を見ると、今さらながらにそうそうたる顔ぶれだなと思う。鹿島アントラーズは当然ジーコ(ブラジル代表)、浦和レッズはマルセロ・モラレス(アルゼンチン)、ジェフユナイテッド市原はピエール・リトバルスキー(ドイツ代表)、ヴェルディ川崎はラモス瑠偉(日本代表)である。
そして横浜マリノスは木村和司(日本代表)、横浜フリューゲルスはエドゥー(ブラジル代表)、清水エスパルスは澤登正朗(日本代表)名古屋グランパスはガリー・リネカー(イングランド代表)、ガンバ大阪はリナウド(ブラジル代表)、そしてサンフレッチェ広島は高木琢也(日本代表)。
浦和のモラレスを除く9選手が日本あるいはサッカー大国の代表歴を持つ選手だった。モラレスも南米では評価の高い有名選手だった。Jリーグが始まるころ、「10番」は特別な背番号であることが一般のファンにもよく知られていた。前記の顔ぶれを見るだけでも、各クラブが「10番」をいかに重視していたか、明確に理解できるのではないか。